目の前で揺れるロウソクの灯りを眺めながら、あれからもう一年経ったんだなと思った。
 町中がクリスマス一色に染まる時期。
 日々空気は冷たく澄み、吐く息は白く白くなっていく。
 チキンに、ケーキに、色とりどりのオードブル。大きな箱に詰められたおもちゃや、宝石を詰め込んだみたいなお菓子の長靴。
 ツリーは小さな電子音を鳴らせてチカチカ光り、ショッピングビルというビルがイルミネーションに包まれる。これでは明るすぎて、サンタクロースも隠れるのが大変だ。
 そんなことを考えていると、ふと手にあたたかなものが触れた。
「何を考えてるの、カズマ」
 ロウソクに照らされた深い色の瞳が、甘く静かに僕を見つめていた。
「うん……フィレンツェでのナターレから、一年経ったんだなぁって」
 視線が、微笑みを浮かべてさらに甘くなった。
「去年のナターレは、素敵だったね。カズマ、君を僕の部屋へさらってきて……一緒に料理を作った。とても楽しかったよ。でも今年はもっと素敵だ。ナターレが終わっても、君は何処へも帰ったりしないから」
「……アレッシオ」
 相変わらず、人を甘く切ない気持ちにさせるのが上手な人だ。
 僕はやっぱり照れてしまって、「じゃあ、消すよ」と細いロウソクを吹き消した。
「ボン・ナターレ。カズマ。ティアーモ……」
 暗闇の中で、アレッシオが素早く僕にキスをした。
「ボン・ナターレ。アレッシオ。……メリークリスマス」
「メリークリスマス。カズマ、アイシテイマス」
「……僕も。愛して……ます」
 猛烈に照れながらそう返事をして、僕は慌てて部屋の灯りをつけた。
「さあ、食べよっか」
「ケーキにキャンドルなんて、誕生日みたいだ」
「まあ、誕生日だからいいんじゃない……キリストの」
「ああ、カズマ。その通りだね」
 クリスチャンであるアレッシオは、にっこりと笑った。

 ここは、アレッシオの部屋だ。
 と言っても、もちろんイタリアじゃない。
 アレッシオが日本に来たのは、3月に入ってからのことだった。
 本当は2月の予定だったのだけれど、何事も予定通りに行かないのがイタリアという国らしい。
 春休み中の僕は何の支障もなく空港まで迎えに行けたわけだれど、ゲートから出てきたアレッシオに力強く抱きしめられて、顔から火を噴くんじゃないかと思った。
 ここは愛(アモーレ)の国、イタリアじゃない。
 謙虚と世間体と曖昧を重んじる国、日本なんだ。
 僕はとりあえず、アレッシオにところかまわず抱き合ったりキスしたりしてはいけないということを教えることから始めなければならなかった。
 ちょっと納得いかない顔をしていたアレッシオだったけれど、そこは彼も大人だ。
「ヴァ・ベーネ。ワカリマシタ」
 と、イタリア語と日本語で了解してくれた。
 その代わりというのか何というか、二人きりになると甘いムードを作りまくりだった。
 夏を過ぎる頃からは日本の空気に慣れてきたのか、人目につかないようコッソリ僕の身体に触れたり、衆目が反れた瞬間キスをしかけてきたり……何と言うか、そういうことにかける情熱というのはすごいもんだなと感心してしまうくらいだ。
 何はともあれ、今は本当に二人きり。
 TVもつけていなければ音楽もかけていないけれど、ご飯を食べながら二人で話していると、あっという間にクリスマスの夜は更けていった。



 僕は冬休みで、アレッシオは火・水と有給を取っていて……いくらイタリア企業って言ったって、ここは日本なのにいいのか? と思いつつも、やっぱり一緒にいられるのは嬉しい。
 そういうわけで、次の日を気にすることなく長い夜を楽しんだ。
 ――アレッシオはベッドの上で、本当にやさしい。
 いつも優しい人だけれど、夜はふわふわの綿で僕を包むように甘やかす。その十分の一でも、彼を幸せにできているといいのだけれど……。
 やがて疲れきって眠りに落ちた僕は、ふと喉の渇きを覚えて眼を覚ました。

「ん……」
「カズマ、起きたの?」
「……アレッシオ?」
 ぼんやりと起き上がると、ベッドサイドで飲み物を飲んでいたアレッシオが僕の頭にキスした。
「今、何時?」
「おはよう、六時半だよ。何か飲むかい?」
「おはよ……うん、喉渇いた」
「ガス入りの水ならここにあるけど」
「それでいいよ。ありがとう」
 冷たいサン・ペレグリノを飲むと、口の中が爽やかになった。
 だんだん目覚めてくる僕の目の端で、何かがキラリと光った。
「……え……」
 これって……。
「アレッシオ?」
 紛れもない自分の指に輝くのは、銀色の……指輪だった。
 アレッシオは僕の手を取ると、そっとその指輪の上にキスを落とした。
「受け取ってくれるかい、カズマ……もし、嫌でなければ」
「嫌なわけ……ないじゃないか。ありがとう……アレッシオ」
「よかった……カズマ。よく似合ってる」
 朝から、何て驚かせてくれるんだろう、この人は。
 目に見える約束を求める女性になったつもりはないけれど……それでも、涙が出るほど嬉しかった。
 右手の薬指に填められたそれを、まじまじと観察する。
 自分が指輪をしているなんて、不思議な感じがした。違和感はあったけれど、悪い感じじゃなかった。
 そこに、Gの刻印がしてあるのに気が付いて……僕は「あっ」と声を上げた。
 そして、慌ててベッドを降りた。
「カズマ?」
 びっくりしているアレッシオを尻目に、自分のバッグが置いてあるところへ急ぐ。何てことだろう。あまりにも昨夜が楽しくて、うっとりしてしまって……忘れていたのだ。大切なものを。
 目的のものを手に取ると、僕はすぐに寝室に取って返した。
「アレッシオ、ごめん……遅くなって、あの、これ」
 細長い箱を、彼に手渡す。
「……クリスマス、プレゼント」
 アレッシオは箱を手で擦った。
「……一緒だね」
 そうなんだ。アレッシオがくれた指輪と、僕が彼に選んだプレゼントは、偶然にも同じブランドだった。
「開けても、いいかな?」
「うん。どうぞ」
 自分があげたプレゼントを人が開ける瞬間って、何とも言えない気分だった。
 わくわくするような、不安なような、早く見て欲しいような、ちょっと待ってほしいような……。
「ファンターティコ! ネクタイだね」
 僕が選んだのは、明るく淡い紫色のネクタイだった。
 甘く端整な顔立ちで、おしゃれなアレッシオにはぴったりだと思ったのだ。
「とてもとても嬉しいよ、カズマ。大事な仕事の時には、必ずつけていくよ。君が守ってくれると思って」
「そんな……」
 ものすごく照れくさかったけれど、でも同じくらい嬉しかった。アレッシオならきっと、喜んでくれると思っていたけれど……想像以上だったから。
「でも、僕も指輪にすればよかったのかな。そしたら、おそろいだったのに」
「ああ、カズマ……可愛い人」
 アレッシオは感極まったようにそう言うと、僕をぎゅっと抱きしめた。
 髪や額に、いくつもキスの雨を降らせる。
「君がくれたプレゼントは、最高だよ。僕は本当に幸せな男だ。それに……心配しなくても、きちんと僕の分もある」
「え?」
 アレッシオはニッコリ笑うと、パジャマのポケットからキラッと光るものを出した。
 ――指輪だった。それも、よく見ると……サイズこそ違うものの、僕とまったく同じものだ。
「填めてくれるかい? カズマ」
 わああ……なんて気障なことをするんだ。
 頬が熱くなったけれど、乞われるまま指輪をアレッシオの右手の薬指に填めた。
 すらりとした指の節に少しだけひっかかったけれど、それはきちんとアレッシオの指の根元に収まった。
 それをしっかりと確認して、僕は顔を上げた。
 すぐ傍に、アレッシオの今にもとろけそうな笑顔があった。
 たぶん、僕も同じような顔をしているだろう。
 僕は吸い寄せられるように、アレッシオの唇に自分のそれを押し付けた。
 すぐに彼の腕が僕の腰に回されて、傍に引き寄せられる。
「あっ……」
 まだ昨夜の疼きが残る身体は、簡単に火が点ってしまう。
「カズマ……アナタト、セックスシタイデス」
 ――そんな言葉、誰が教えたんだよ……と思いながらも、同じ気持ちな僕はそれに突っ込む余裕もなかった。
 アレッシオの首に腕を回して、ペロリと唇を舐める。
「……ヴォレンティエリ(喜んで)」
 ゆっくりとベッドに押し倒されながら、僕はもう一度自分の右手を見た。
 ……サンタクロースって、随分と格好いいんだな。
 そんなことを考えながら。



 Fine






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