「まずは、水浴だな……」 ジャハーンが俺をじーっと見ながら、何か呟いた。 何を言っているのか全然わからないだけに、その目つきが怖いんですけど……。 「熱が下がったばかりでいらっしゃいますが、よろしいのでしょうか?」 「占星師は、身体を清めた方が病が軽くなると申しておったぞ」 「……かしこまりました」 「何より、汗に汚れた身体では気分が悪かろう。まぁ、汗をかいても……まるで赤子のような甘酸っぱい匂いしかせぬのだから、不思議なものだが」 「神子とは、斯様に清らかな御方でいらっしゃるのですね」 「ああ」 ジャハーンは何やらピピと頷きあいながら、俺の方に手を伸ばしてきた。 『えっ、な、なに?』 「ジュン、来るのだ。水浴をしろ」 「すーよく?」 「水浴だ。身体を、綺麗にするのだ」 「からだ…キレイ」 「そうだ。心地よいぞ」 ジャハーンは機嫌のよさそうな顔で、いきなり俺を抱え上げた。 『うわっ! 何だよっ』 突然のことで驚いたものの、ジャハーンのガッシリした腕と胸は、俺を軽々と抱いて揺るぎない。どんだけ力持ちなんだよ? と、呆れてしまう。おんぶとかならまだしも……まるで小さな子供にするように、片方の腕で俺の尻から太ももあたりを支えている。ていうか、片手かよ……。 『やめろ、降ろせって!』 「ジュン、暴れるではない。危ないぞ」 『お、おい、何処行くんだよ?』 ‘カラダキレイ’ってなんだ? 抵抗もむなしく、そのまま俺が連れて行かれたのは、最初の日に見たようなプールだった。 すぐに、腰に布を巻いただけの少年達がわらわらと寄ってくる。 『うわーっ、寄るなーっ!』 あんな目に合うのは二度とごめんだと思って、俺は死に物狂いで暴れた。さすがに扱いかねたジャハーンの腕から逃れると(というより、ジャハーンが降ろしてくれたみたいなんだけど)、ピピの後ろに隠れた。 「ジュン、何を怖がっておる。この者達は、お前に害なすものではないぞ」 『お前、また俺にあんな羞恥プレイを強制するつもりなのかっ!? この変態ホモ野郎!』 「一体どうしたというのだ。身体が汚れていては気分が悪かろう?」 ジャハーンはきょとんした表情だ。あーもう、全然通じてないじゃないかよ! 「イヤ、イヤ、キライ!」 「何が嫌なのだ」 「……おそれながら、王。神子は他人に身体を触れられることがお嫌なのではないかと」 「触れる……馬鹿なことを申すな! 誰が私のジュンを触らせるというのだ!」 「申し訳ございません! ……あ、あの、そうではなくて、身体を洗われることが、という意味でございます」 「それが嫌だと?」 「確かめてみます」 ピピが俺の顔を覗き込んだ。ビクビクする俺に見えるように少年達を指差して、「彼らがイヤなのですか?」と聞いてくる。なんとなく意味するところがわかった俺は、ブンブン首を縦に降った。 「イヤ、イヤ!」 「では、ご自分で水浴をなさりたいということですか?」 ピピは今度はプールを指差してから俺を指差し、身体をこするような真似をした。 あ、‘カラダキレイ’って、もしかして風呂のことなのか? 「のみたい、おれ、からだきれい」 「?? ……身体をキレイにしたい、ということですね? ご自分で」 「おれ、からだきれい、したい。ごじぶん」 「かしこまりました」 ピピはにこっと笑って頷くと、ジャハーンの顔を見上げた。 「どうやらそのようです」 「……ふ、む……。神子というのは、高貴な存在と思って居ったが……召使などはおらなんだのか?」 「僕などには、神々の世界のことはわかりかねますが……少なくとも、神子はかなり控えめな性格でいらっしゃるように思います。慎み深いと申しますか……」 「では、私が洗ってやろう」 ジャハーンがぐいっと俺の腕を掴んできたので、俺は慌ててそれを振り払った。 「イヤ! ジャハーンいやっ。おれ、からだきれい、ごじぶん、したい!」 「何を嫌がるのだ、ジュン」 『やめろっつってんだよ! このボケェ!』 俺は近寄ろうとするジャハーンのスネに、思いっきりケリを入れた。 「うっ……」とジャハーンは低く呻き、ピピや子供達が「ひぃっ」と悲鳴をあげる。 烈火のごとく怒りだすかと思われたジャハーンだったが、何故かふっと苦笑すると首を横に振った。 「まったく、病み上がりだと申すのに元気なことよ……まあ、良い。今日はあまり興奮させるのも良くなかろう。ではピピ、お前がついておれ。お前ひとりがついておるくらいならば、気にならんだろう」 「は……は、はいっ、仰せのままに!」 ぺこり、とお辞儀するピピにひとつ頷いて、ジャハーンは何か言うと出て行ってしまった。 残されたのは、俺と、ピピと、遠巻きに俺たちを眺めている少年達……。 すっかりビビリきった俺の視線に気がついて、ピピはにっこり笑った。 「では、まず、汗を流しましょう」 「でわ?」 「身体を、きれい、にするのです。誰か、水を汲んでくれませんか」 ピピに言われて、少年達のうちの一人が近寄ってきた。花が浮かべられたプールから、桶に水を汲む。 「神子、背を向けてください」 あっち向け、ってことかな? とりあえず言われた(ような)通りにすると、背中にそっと水が掛けられた。ほのかにいい匂いがして、生ぬるかった。 その後、何とか俺は無事に身体を洗い終えた。石鹸の類はなくても、いい匂いのするキレイな水で身体を流すと、けっこうさっぱりした。 それで、その間、俺とピピは言葉がわからないながらも、何とか意思の疎通をしようとしていた。 かろうじてわかったのは、やっぱりここは俺の知っている世界とは全然違うところなんだっていうことと、そしてジャハーンはここで一番偉い人なんだっていうこと。あと、俺がここでは‘ミコ’と呼ばれていること。それが何なのかは、聞いたけどさっぱりわからなかった。でも、単なるお客さんって以上に敬われているので、何やらありがたい存在だと思われているみたいだ。 たくさん花が浮かべられた、いい匂いのするプールに浸かりながら、俺はふうっと溜息をついた。 ……これから一体、どうなっちゃうんだろうか。 このままずっとこの建物の中に閉じ込められるのか、それとも一発やっちゃったら用なしとばかりに放り出されるのか、ていうかそもそも、もとの世界に帰れるのか……。 どんどん気分が暗くなっていったけど、ジャハーンの顔を思い出すと、メラメラとした怒りでテンションが上がってきた。 それにしても、いきなりわけのわからない世界に紛れ込んで驚いている俺を、有無を言わせず誘拐して、好き勝手なことしやがって……くそっ、いたいけな男子高生に、何てヤツだ。 どうも、俺にヨコシマな気持ちを抱いているような気がするけど……俺は絶対に、あんなヤツの言うとおりになんかならない! 絶対に、絶対に、あいつを好きになんかならない! 俺は口まで水の中に浸かり、気合の意味を込めてブクブクと息を吐いたのだった。 →TOP |