王宮の裏手の門の側に立つ、ナツメヤシの木々。
 その木の下に立つ王のお姿をご覧になった時、神子の愛らしい唇から小さな悲鳴が漏らされた。
「えっ……!?」
 神子は何度もその黒曜石の瞳を瞬かせる。
「ジャ、ハーン……だよな?」
 誇り高き太陽王は、なんと庶民の衣服をお召しになっていたのだった。
 その身を飾る宝石も黄金もなく、実に質素な出で立ちである。
 だが、やはりその御身から溢れ出る威厳は隠しきれないようであった。
 神子は王のお姿をまじまじとご覧になった後、深い溜息を漏らされた。
(……こうやって見ると、やっぱこいつってイイ男だよなぁ。顔だってちょっとワイルド入ってるけど格好いいし、タッパもあるし、ガタイもいいし……俺って、イイオトコ捕まえたよな。でも俺が同じ格好したら……ヤバイよなぁ。絶対貧相だよ。ちくしょう……)
 神子はなかなか複雑な心境であらせられるようだ。
「どうした潤、そのような顔をして。私の格好がそんなにおかしいか」
「……別に、おかしいってことはないよ。だけど、一体あんたどうしたんだよ?」
「どうということはない。今日の私は、お前に仕える僕なのだからな」
「しもべ?」
「そうだ。お前の望むところへ、何処なりとも供しよう。さあ、潤、何処へ行きたいのだ?」
「何処って……急に言われても」
「何だ。デートがしたいのではなかったのか?」
「デートぉ?」
 神子は大きな目を更に大きくされた。
「お前がデートがしたいと申すから、このように支度したのではないか。お前に行きたい所がないというなら、私が連れて行くぞ。さあ、ついて来い」
 高らかにそう仰ったあと、王はその身を翻そうとして、思い直されたかのように振り向かれた。
「おっと……手を繋ぐのであったな」
 そう呟いて、神子の手をグイと掴み歩み出された。
「な、何だよ、あんた……強引にも程があるって。どこがシモベなんだか……」
 ブツブツと呟きながらも、繋いだ手にまんざらでもないご様子の神子であった。

 王と神子のお二人は、その後王家直轄の庭園へ足をお運びになった。
 そこは一年中花の咲き乱れる、それはそれは美しい庭園である。王家一族の憩いの場とも言える場所であった。
「ここは?」
「王家の庭園だ」
「ふうん……キレイな所だな」
 季節柄、矢車草の花が其処此処に咲き誇っていて、白や青、紅や紫の色が目にも鮮やかだった。
 王はその矢車草の群生の中から、白い花を一本手折られると、花弁に顔を寄せてそっとその香をお聞きになった。
「ここは、父上と母上が幼少の頃よく遊んだ庭園だそうだ」
「シェプセスカフ王と……メリタテン王妃が?」
「そうだ。長じて後は、そのようなこともなくなったようだが……お二人は、幼き頃はとても仲が良かったそうだ」
 遠い目をしたままそう仰ると、王は手に持たれた矢車草を、そっと神子の髪に差し込まれた。
「以前、父上から聞いたことがある。この花に囲まれて笑う幼き母上を見て、このひとを自らに嫁にしたいと思ったと」
 神子はその白い花弁に手を添えられて、王をじっと見つめ返された。
「……そうなんだ」
「私は母上を覚えてはおらんが、きっと美しく優しい人だったのだろうと思う。そうでなければ、あのご立派な父上が愛し……そしてあのムテムイアが慕うはずがない」
「……そうだな」
「その話を聞いたせいかもしれんが……私にとって母上を偲ぶ場所は、母上の墓地ではなく、この庭園なのだ。その場所に、一度お前を連れて来たいと思っていた……潤」
「俺を……?」
「そうだ。お前を」
 王と神子の視線が絡み合う。
 瞬間、あたたかな沈黙が舞い降りた。
 ややあって、王が何処かはにかんだご様子で口を開かれた。
「さて、次は茶を飲むのであったな」

 ハイビスカスのお茶の甘酢っぱい香りが、美しい庭園に漂い始めた。
 王国で最も人々に好まれるお茶である。
 その赤い花茶をひとくち飲んで、神子は伏せていた視線をそっと上げた。
 その目前では、これ以上はないと言う程甘やかな表情の王が神子を見つめておられた。
「……あの、ジャハーン」
「なんだ、潤」
「その……あんま、見ないで欲しいんだけど」
「何故だ? 私に見られて困るようなことがあるとでも?」
「別に……そーいうわけじゃないけど」
「ならば構うまい」
 神子は小さく溜息を吐くと、再び茶器を口元に運んだ。
 しかし、どうにも落ち着かないご様子であられる。
「その……あれだな」
「何だ」
「いや、いい天気だなぁ、と」
「そうだな」
「…………」
「…………」
「……このお茶、うまいよな。はじめは何だコレとか思ったけど、慣れるとけっこうイケるんだよな」
「そうか」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「だからさぁ!」
 神子は些か苛立ったように、茶器を茶卓に戻された。
「なんかしゃべれよ、あんたも! そーやって黙ったままジロジロ見られたら、なんか気まずいだろうが!」
「気まずい? そんなつもりはなかったのだが」
「何なんだよ、言いたいことがあるなら言えっつーんだよ!」
「言いたいことはひとつだけだ。潤、お前を愛していると」
「なっ……」
 神子は、何か言い返そうと口を開かれたまま、ほんのりとその頬を染められた。
「な、なんだよ。いきなり」
「いきなりではない。先程からずっとそう考えていた。お前は何と愛しい存在なのだろうかと」
「はあ? わ、わけわかんねーよ! お前は軟派で陽気なイタリア人かよ!」
「いたり……?」
「そ、そんな話はいいんだよ。何か他の話をしよう」
「私がお前に愛を語ってはならんのか」
「だから、それは別にいいんだって。何もこんなとこで話すようなコトじゃないだろーが」
「今話さんでどうする。これは儀式であろうが」
「はっ?」
「おっと、いかん。陽が傾いて来たな。潤、行くぞ」
 王は空を仰いで立ち上がると、再び神子の手を取って歩き出された。
 神子はというと、王に手を引かれるまま、しきりに首を傾げておられたのであった。