サーリヤはぎょっとして顔を上げた。
 アクラムは無表情のままサーリヤを見下ろしている。
「な、何と……」
「二度は言わぬ」
 そう言い捨てて、サーリヤの横を通り過ぎ、背後にある寝室へと歩いていった。
 サーリヤは呆然とそこに座り込んでいた。
 この国において、男色というのはけして珍しいことではない。妻を何人も持つような裕福な商人や貴族ならともかく、庶民の間で異性との性交を意味するものは、すなわち婚姻である。独身女性と閨を共にするにはまず結婚の儀式を行わねばならないし、既婚女性との同衾は大罪である。不倫は女性の死を以って贖わねばならなかった。
 ただでさえ、美しい女性は若いうちから後宮へと連れ去られてしまう。若い精を持て余した男達が、快楽となぐさめを美しい男に求めるのは自然な行為と言って良かった。
 だから、サーリヤとて男色に抵抗があるわけではない。今まで自分に経験こそなかったけれど……そういう話を聞いたことがないわけではないのだから。
 しかし、この高貴な人にその相手をと望まれて、うろたえずにいられなかった。
 世継ぎの王子ともあらば、見目麗しい小姓を多くはべらすなど容易いことだろう。それに美しく高貴な妻達も多く娶っている筈だ。性に何の不自由もないであろうアクラムが、何故自分のような平凡な男を求めるのか理解できなかった。
 まして、サーリヤはもう18である。
 若いには若いが、既に成人男性といえる年齢だった。稚児にするには少々トウが立ち過ぎている。
 しかし、王子がそう望んで拒否することなど出来る筈もない。
 サーリヤは震える手で衣服を全て脱ぎ落とすと、アクラムの後を追って寝室へ足を踏み入れた。
 そこは更に艶かしい造りの部屋だった。
 壁は鮮やかな紫色に塗られ、床には金襴のやわらかな絨毯が隙間なく敷き詰められている。透ける薄布が幾重にも重ねられた天蓋つきの寝台は、呆れる程大きい。大の大人が五人くらいは寝転がれるのではないかと思えた。
 焚き込められた香が、妙に胸をざわめかせる。
 アクラム王子は寝台にゆったりと寝そべり、一体いつの間に運ばせたものやら、美しい瑠璃の盃で葡萄酒を口に運んでいた。ちらりとサーリヤに視線を寄越して、左手の中指を使ってこちらへ来るように指示する。
 サーリヤは緊張のあまり冷たくなった足で、ふらふらとそちらへ近付いていった。
 アクラムは盃を飾りテーブルに置くと、サーリヤの腰を抱いて寝台に引き倒した。アクラムの身に付けた絹の衣服ごしに、猛々しく力に満ちた男の身体の感触を感じた。
「男は初めてなのか」
 身体の震えに気付き、いぶかしむようにそう尋ねてくる。
 こくこくとサーリヤが頷くと、アクラムは少し口元を緩めた。気のせいでなければ、微笑んだように見えた。
「その歳で、珍しいことよ。誘いはあらなんだか」
「……わたくしは、仕事のみが生き甲斐のつまらぬ男でありますゆえ」
「仕事、か。そなたは薬師だったな」
 何を今更、とサーリヤは呆れたが、考えてみれば自分は薬師として召抱えられたのではなく、一夜の相手として求められたのだった。自分の知識や技術を買われたわけではないのだと、少し寂しい気持ちになる。
「サーリヤ、恐れるな。俺はお前を取って喰ったりなぞせぬ」
「は……はい」
 サーリヤは身体の震えを治めようと力を込めたが、うまくいかなかった。
 アクラムはサーリヤの束ねた髪を解くと、そっとそれをかき上げた。
「何やら花のような香りがする」
「あ……きっと薬草の匂いでございましょう。常に薬草に触れておりますので、匂いが移ってしまったのでございます」
「確かに、香とは違った匂いだ」
 そう言って、アクラムはサーリヤの唇を吸った。
 肉厚の唇に、サーリヤの小ぶりのそれを軽くはさむようにして吸われて、サーリヤは心臓が痛い程高鳴るのを感じた。
「力を抜くが良い、サーリヤ。俺に全てを委ねるのだ」
 囁くようにそう言われて、サーリヤは薄闇の中瞳を閉じた。
 初めて見た時は恐ろしい男のように思われたが、不思議とその声を聞いていると心が凪いでくる。
 イン・シャーアラー。なにごとも、神様の思し召し。
 心の中でそう呟いて、サーリヤは恐れや抵抗心を捨て去ることに決めたのだった。

 それからのことを、サーリヤはよく覚えてはいない。
 アクラムは優しく、情熱的だった。
 強ばりの解けたサーリヤの身体を、魔法のような指と舌で溶かし、快楽に染めていった。まるで奴隷さながらにサーリヤに尽くし、甘やかな陶酔をもたらした。
 サーリヤは我を忘れてアクラムの身体に溺れた。
 アクラムが己の男根を口に含めば啜り泣き、散々翻弄された挙句、ついに身体の奥深くにアクラムのいきり立つものを差し込まれた時は、悲鳴さえ上げてもだえた。
 男の身体がこれほど美しく素晴らしいものだとは思わなかった。アクラムの肉体は自分と同じ男とは思えぬ程なまめかしく、雄々しく、力強かった。
 全身を薔薇色に染めて、二人の汗と精とに濡れたまま、サーリヤは何度目かの高みの後に気を失ったのだった。

 月明かりと香の淡い煙に包まれて、夢うつつのサーリヤは、自分の魂が身体を抜け出していくような感覚を覚えた。そのまま窓から空へと泳ぐように上り、風に乗ってはるか彼方へ向かってゆく……やがてたどりついたのは自分が少年時代を過ごしたあの薬草畑である。
 そこは4年間と変わらぬ姿のままだ。
 麝香草や紅花、カルダモン、甘草、生姜、コリアンダー、クミン……自分が育てた薬草が、月明かりを産毛にまとって輝いている。
 その清々しい香りを胸いっぱい吸い込んで大きく吐き出すと、身体の芯から清らかになるような気がした。
 その薬草達の影に、一人の少年の姿があった。
 彼だった。
 彼は怒りに満ちた眼差しでサーリヤを睨みつけると、そのまま身体を翻して夜の闇に消えていった。
 サーリヤはその後姿を悲しい気持ちで見送りながら、ああまた今日も名前を聞けなかったと溜息をついたのだった。