その日は朝からよく晴れていた。 フロントでロレンツォに鍵を預けて外に出ると、眩しい日差しが僕を包んだ。冬でこうなのだから、夏の晴れの日なんてどれほど日差しが強いことだろう。 目を細めながら石畳のデコボコした道を歩き、何度か通ったバールに飛び込んだ。顔見知りになったカメリエーレや立ち飲みのおじさん達と挨拶を交わして、カフェ・アメリカーノとパニーノを食べる。 イタリアは、さすが本場だけあってエスプレッソもカプチーノも美味しいのだけれど、僕にとっての朝御飯といえば、アメリカン以外にない。真っ黒で香ばしい熱い液体を、ゆっくりと喉に送り込むと、寝ぼけた身体の隅々まで染み渡るようだった。 コーヒーを飲み干してまた道に出ると、町はすっかりナターレ色に染まっていた。イタリアでは、クリスマスをナターレと言うのだ。ショーウィンドウはキラキラしたモールや、カラフルなリボンや、雪化粧を模した白スプレーで華やかに飾り付けられ、街灯には電飾が巻きつけられ、「ボン・ナターレ」や「アウグーリ」(どちらもメリー・クリスマスという意味)の言葉が書かれたプレートが掲げられている。 日に日に、ナターレの恵みを求めて道にうずくまる物乞いの数が増え、宗教画やプレゼーピオの小さな置物を売る露天商が多くなっていく。トナカイの角がついたヘアバンドやバッボ・ナターレ(サンタクロース)の帽子を売る若い中国人達が、ほがらかな笑顔を振りまいている。 それは何処か、日本のクリスマスの賑やかさに似ていた。 カトリックの総本山であるイタリアでは、クリスマスは恋人達のものではなく、家族の為のイベントだから、雰囲気はどちらかというとほのぼのしている。ジングルベルのメロディは流れていないけれど、トラットリアの前にサンタの置物が置かれていたり、TVでクリスマス・ケーキやおもちゃのCMがさかんに放送されていたりと、どこか空気が浮ついているのがそっくりで、なんとなく微笑ましかった。 誰のもとにも、クリスマスはやってくる。 僕はキリストの誕生を祝う気にも、クリスマスだからと言ってはしゃぐ気にもなれない。イタリアのクリスマスは日本の昔の正月と同じで、レストランというレストラン、店という店が閉まってしまうと聞いていたから、差し当たってその日の食事のことを心配する気持ちの方が強かった。 だけど、それでもクリスマスが待ち遠しい。 当日になったら、一人で小さなスプマンテを開けて乾杯するのも悪くないかもしれない。 そんなことを考えながら歩く僕の横を、観光用の馬車が通り過ぎて行った。 サンタ・マリア・デル・フィオーレ。 ドゥオーモと呼ばれる大聖堂の中は、界隈の賑やかさとは打って変わって、重厚な静けさに満ちている。 奥のほうには、クーポラの内側に描かれた天井絵が半球状に広がっている。そのはるか高みにある絵をぼんやりと眺めているだけで、その神聖な色合いにざわめいていた心が静まっていくのがわかった。 右手にあるクーポラへの入り口へ向かい、係員から6ユーロのチケットを買った。 そこから始まる階段は、驚くほど狭い。ぴったり一人用、といったサイズだった。古びた質素な石の階段だ。 僕はその階段の前に立ち、大きく息を吐いた。 そして、一歩足を踏み出す。 縦幅もとても狭くて、足ひとつぶんの大きさもない。小さな段が連なって急な傾斜を作り、らせん状にはるか高くまで続いているのだ。 観光シーズンではないせいか、人の気配はまったくなかった。薄暗い石の空間の中で、一人黙々と足を動かす。 階段を上る間に色んなことを考えこんでしまうのだろうと思っていたのだけれど、小さな円を描きながら上っているせいで、頭の中もぐるぐる回っている。断片的に浮かび上がる誠司の思い出も、思いを馳せる前にそこから半ば強制的に移動させられてしまうのだ。 足を動かしたまま、僕はふと視線を上げた。 明かりとりの窓から、太陽光が四角い形に切り取られて差し込んでいる。 外側は狭く、内側は広くくりぬかれた、ガラスのはまっていない小さな窓は、その工夫のお陰でよりたくさんの陽の光を集められるのだという。 遥か昔、ここで暮らした修道士達は、この狭く長い階段を昇りながら、何を考えていたのだろうか。 あの窓から差し込む光を見ながら、何を思っていたのだろうか。 それとも今の自分のように、このきりのない回転運動に頭を振り回されて、深いことなど考えられなかったかもしれない。 寒さのせいかさして息切れもせず、10分もかからないうちに開けた空間に出た。 そこは、カテドラーレの天井絵のすぐ下に築かれた、円状にぐるりと伸びたテラスだった。 「わあ……」 思わず声を上げてしまう。 すぐ上に、あの遥か高くに見えていた天井絵が広がっている。 何だか不思議な気分だった。 当時、画家はここから足場を築いて絵を描いたのかもしれない。 よく見ると、あんまり繊細とは言えないけれど、おおらかで鮮やかな色彩の宗教絵。ところどころに悪魔らしき姿も見える。聖書についてあまりくわしくはないのだけれど、たぶんこれも「最後の審判」を題材にして描かれたのだろうと思った。 ここまで来て、ようやく他の観光客の姿が見えた。 天井絵をビデオ撮影している中年男性と、その横に立つ婦人に声をかけ、身体をすり合わせるようにしてそこを通させてもらう。人がすれ違うことなど考えずに作られたテラスなのだから、狭さは仕方ないのだ。 そこからさらに階段を上り、2分ほどでついに展望台へ出た。 外のざわめきが、久しぶりに僕の耳に戻ってくる。 青く晴れた空と、冷たく澄んだ冬の空気。 思っていたよりずっと狭い展望台で、僕は手すりにもたれるようにしてその景色に魅入った。 青いなだらかな山々に囲まれたフィレンツェの、美しい街並み。 色あせてくすんだオレンジ色の家の屋根は、僕の目には少し寝ぼけたような、穏やかで優しい色に見えた。誠司は「ばら色の町」と言っていたが、その表現には正直頷けるものではなかった。というか、僕のイメージするばら色と、彼のそれとではかなり違いがあったのかもしれない。 僕にとって、それは陽だまりの色だった。 陽だまりのようなあたたかさと、不思議な懐かしさ。 小さな屋根がひしめきあい、いくつかの茶色い屋根を持つ教会が頭をピョコリと出した、小さな美しい古都。 こんな高さでも、人々の生活する音がしっかりと聞こえてきた。 ざわめき、そして車の騒音。 とてもロマンティックなBGMとは行かないけれど、それでもそれは町が「生きている」音だった。この町は遺跡じゃない。きちんと人が暮らしているんだ。 町の外観は、誠司が言っていたようにほとんど変化していないのだろうけど、そこを包む町の音は、時代と共に変わり続けていたことだろう。今聞こえるこの音も、百年後には違う乗り物が登場していて、まったく異なった騒音になっているのかもしれない。 積み重なれてきた長い歴史を見下ろしながら、僕はそんなとりとめもないことを考えていた。 →11 |
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