クリスマスまでいよいよ一週間を切った。
 と言っても、単独行動のバックパッカーである僕にとっては、あまり関係のない話だった。アレッシオも、きっと家族と過ごす為に実家に帰ってしまうだろうし、安くておいしいバールやトラットリアが軒並みクリスマス休暇に入ってしまうと思うと、楽しみというよりは早く終わって欲しいという気持ちだった。
 そんな僕の心を知ってか知らずか、このところ毎日の習慣となりつつあるランチ後の散歩の途中、アレッシオはその話題を持ち出してきた。
「ナターレはどうするの、カズマ?」
 階段の上で日なたぼっこをしている猫に気を取られていた僕は、その質問にすぐに答えを出せなかった。
「えっ……?」
「何か予定はあるの?」
「そんなの……あるわけないじゃないか。たぶん、ホテルで本でも読んでると思うよ。それか、チャイニーズ・レストランにでも行こうかな」
 クリスチャンではないチャイニーズレストランは、クリスマスも変わらず営業しているらしい。
 アレッシオはひょいと眉を上げると、ブルゾンに突っ込んでいた僕の手を引っ張り出して握り締めた。
「もし良かったら、僕の家に来ないかい」
「アレッシオの家に?」
「そう、僕の会社では、ヴァカンツェ・ディ・ナターレは二週間あるんだ。その間、ボローニャにある、僕の両親のところに帰ろうと思っているんだけど……カズマも一緒にどうかと思って」
 僕は唖然として、アレッシオの顔を見上げた。
 両親のところって……それって、ご挨拶に伺うってやつ?
 そう思いかけて、いや、男同士なんだから、小旅行がてら友達の実家に遊びに行ったっておかしくないかと考え直す。だけど、家族水入らずのクリスマスに、見知らぬ外国人が紛れ込んでも良いものなんだろうか?
 僕の逡巡を感じ取ったのか、アレッシオが明るい声で言葉を重ねた。
「もしかして、変な心配をしている? 大丈夫、君のことは友人として紹介するよ。珍しいお客が来たって、両親も喜ぶよ、きっと。何しろ賑やかなのが大好きな人たちだから」
 悪戯っぽい彼の言い方に、心が動かされた。
「ん……じゃあ、お邪魔しようかな。もし、ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて! とんでもない、大歓迎だよ。カズマ」
 にっこりと笑ったアレッシオにつられて、僕も笑顔を浮かべた。
 それから、彼はイタリア人家庭のクリスマスとはどんなものか、ざっと説明をしてくれた。
 表情豊かなアレッシオの顔を見上げながら話を聞いているうちに、気がつくと‘その日’を楽しみにしている自分がいた。

 誰もが幸福になれるという、クリスマス。
 この国では、信仰と家族愛の象徴であるその日。
 魚料理のご馳走を食べ、真夜中に家族そろってミサに出かけ、そしてスプマンテと共にパネトーネというドライフルーツの入ったケーキをみんなで食べる……聞けば聞くほど、静かで、あたたかい祝祭の日なんだなという気持ちが強くなる。日本では、子供の時にしかしないような、クリスマス会やバースディパーティ……折り紙で作った鎖状の輪っかや薄い紙の牡丹みたいな花を飾って、ジュースで乾杯して、ケーキを食べて……自分にとっては遠い日の、懐かしい思い出。そういうものが、ここでは大人になっても伝統行事として続けて行かれるんだな、と思うと、微笑ましいような、羨ましいような、切ないような、不思議な気持ちになった。
 逆に、日本では家族で過ごすべきイベント、「年越し」は、友人や恋人と楽しく賑やかに過ごす日なのだと言う。
 恋人、と言う言葉を聞いて、ドキリとした。
 今まで僕にとって「恋人」という存在は、誠司だけだった。彼が亡くなってからも、ずっとそうだった。だけど、今は……アレッシオが僕に好きだと言ってくれて、僕はまだそれに答えていないのだけれど……彼に対する気持ちが、友情なのか恋愛感情なのか、まだはっきりとはしないのだけれど……アレッシオが僕のことをどんな風にカテゴライズしているのかな? と思うと、顔が熱くなった。友達以上……恋人未満? 恋人候補? 片思いの相手? ただの遊び相手?
 何だか、ぐるぐると色んなことを考えてしまう。
 自分は、こんなに人の目を気にする人間だったのかな? と思うくらい。
 確かに小心者で、他人に嫌われるのはつらいと思う性格だけど……我ながら天邪鬼で、皮肉屋で、他人のことなんかどうでもいいって思う気持ちがあるのも確かだった。こんなにも、相手の自分に対する感情を気にしたのは、アレッシオの他には誠司に対してだけだ。
 だけど、その事実に関して深く考えるととても面倒なことになりそうなので、とりあえず今は気にしないでおこうと自分に言い聞かせた。
 それをはっきりさせるのは……そう、クリスマスが終わってからでも遅くはない、と。
 でも、クリスマスまであと一週間もないことに気がついて、自分の心の中で言い直した。
 年が明けてからでも、遅くはない、と。
 今まで、どちらかと言うと「今日できることは今日する」タイプで、嫌なことを先延ばしにするのは嫌いだったんだけど、今回は当てはまらないみたいだ。
 それとも、それは「嫌なこと」ではないんだろうか?
 気がつくとぐるぐるとまた考えはじめていて、僕は慌てて頭を振ることで、その思考のループから抜け出したのだった。



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