アレッシオの住むフラットは、ホテルから車で15分程走ったところにあった。
 外観は、イタリアによくある歴史を感じさせるマンションだったが、中は完璧に補修されてきれいだった。壁にヒビ一つない、手入れの行き届いた機能的な室内……イタリアにもこんな建物があったとは。
 観光客向けの安ホテルと、仕事盛りの独身男性が住むマンションとでは、比較すること自体がおかしいのかもしれないけれど。
 僕らは、そのアレッシオの住む部屋で、まるでままごとみたいなクリスマスのお祝いをした。
 辛口のスプマンテと、僕が提案して二人で焼いた、詰め物入りのチキンの丸焼き。塩気のないパンと、赤ワイン。小さなパスタ入りのスープ。それから、アレッシオのマンマ特製のパネトーネ。
 そして、幸せそうに僕を見つめるアレッシオの瞳。
 その瞳に映る僕もまた、幸せそうな顔をしているのだろうか。
 そう、確かにクリスマスは誰をも幸せにする。
 異邦人である僕でさえ、せつないくらい幸せに。

 僕らはゆっくりと食事を終えると、ミサに行くこともなく、ただTVから流れるヴァチカンの聖歌隊の歌声に耳を傾け、そして順番にシャワーを浴びた。
 明るくて、暖房の効いた、とても気持ちの良いバスルーム。
 アレッシオが貸してくれたバスローブを羽織ってそこを出ると、彼はニッコリと優しく笑って僕を抱きしめた。
「カズマ。君がここにいるだなんて、信じられない。信じられないくらいの幸せだ」
 彼はとてもよく、幸せという言葉を口にする。
 僕は思うだけで、口にはできない。
「……アレッシオ」
 彼の名を呼んだが、その先に何と言ったら良いのかわからず、僕はただ彼にしがみついた。
「震えているね、カズマ。僕が怖い?」
 問われて、僕は首を横に振った。
 アレッシオには、ほぼ全てのことを話してある。彼は、僕がまだ誰とも体を重ねたことがないことも知っているのだ。
 不安だった。怖くないと言えば嘘になる。
 だけど、それ以上に僕は。
「幸せなんだ」
 アレッシオが軽く瞠目する。
「だから……どうなってもいい。今が幸せなら、それで」
「今も、これからもだよ」
「先のことなんてわからないよ。それに、もしこの先不幸になったとしても、僕はけして後悔しないと思う。だって今、こんなにも幸せだから」
「ああ、カズマ」
 アレッシオは感極まったように僕の名を呼ぶと、僕を抱く腕に力を込めた。
「愛しい、カズマ……ティアーモ……テソロ・ミオ」
 愛している、僕の宝物。
 くすぐったくなるような甘い言葉も、今なら素直に受け止められる。
 やがてゆっくりと彼の唇が降りてきて、僕のそれを優しく啄ばんだ。何度も、何度も。
 僕がうっとりと溜息を漏らす頃になると、あたたかな舌がそっと僕の息をすくいとった。固い歯に甘く唇を噛まれて、僕は小さく声をあげる。それはとても巧みなキスだった。それだけで、緊張に強ばった僕の体はふにゃふにゃになってしまった。
 そんな僕の体に、彼は言葉通り、まるで宝物を扱うかのように丁寧に触れていった。
 甘く、何処までも優しく、溢れる程の愛と思いやりを込めて。
 明かりを落とした部屋の中で、僕を見つめる熱いまなざしを、時折乱れる彼の息を、そしてあたたかな彼の体温を体中で受け止めた。
 必死だった。
 与えられるばかりではなく、僕だって彼に与えたいと思っていたけれど、何もかもが未知の体験で、僕はただ心臓をばくばく言わせながら彼にしがみつくのが精一杯だった。
 絶え間なく彼がくれる甘い囁きにさえも、ただ「僕も」と返事を返すだけだった。
「ケベッラ……なんてきれいなんだ、君は」
「きれい……僕が?」
「君は本当に美しい。僕の天使……」
 そんなことを言われても、僕はただ顔を赤くして絶句するばかりだ。イタリア人というのは、どうしてこうも臆面もなく甘い言葉を言えるのだろう。僕は夢見る女性ではないから、素直にうっとりとできない。だけど、もちろん嬉しくないわけではない。
 だけど、彼の方が僕の何倍も美しい。
 きれいに筋肉のついた引き締まった体と、整った顔立ちを包む焦げ茶色の波打つ髪。同じく濃茶の瞳は、光の加減によっては緑がかった茶にもなる。いつもは理知的な穏やかさを湛えたその瞳が、今は情熱を宿して闇の中できらめいている。
 こんなひとが、何故僕なんかを求めるのだろう……。
 しかしそんな疑問も、やがて僕を襲った衝撃と痛みと、そして痛みの向こうにある稲妻のような何かに掻き消され、夜に溶けていった。
 僕は抑えようとしても抑え切れない叫び声を上げながら、アレッシオの首を掻き抱いた。



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