愛の儀式


 キピの香もいよいよ深まり、空には太陽の代わりに月の女神が燦然と輝くある夜更け。
 王国の中でも最も気高く神聖なる寝室では、今宵も太陽王と神子が愛を交わしていた。

 うっすらと汗ばんだ肌の熱が落ち着き、しっとりとした冷たさを帯びて来た。その象牙のような白く美しい背中に唇を寄せて、王は甘い溜息を漏らされた。
「潤……お前が許すのなら、このままもう一度この肌を茜色に染めたいが」
「……も……ムリ……」
「……そう言うであろうとは思った……まあ良い。また明日の夜があるゆえ」
 汗が光る背を微かに波立たせながら、神子のその形のよい唇から小さく「じょ、うだんじゃねえ……この絶倫野郎が……」と呟きが漏らされたが、幸いにもそれは王の耳には届かなかったようである。
 しかし、王がその舌で背骨をペロリとひと舐めしたとたん、薔薇色の唇から飛び出した小鳥のような声は、しっかりとその御耳に甘やかな響きを持って伝わってしまった。
「アッ……」
「……潤、お前という奴は……何という声を出すのだ。折角私が控えてやろうとしたものを……」
 王は悩ましげにそう仰ると、力強い両腕で神子の御身をきつく抱きしめておしまいになった。
「次の夜まで待とうと思ったが……こうしてみると何とその長いことか。とても待ちきれん」
「はぁ?ふ、ふざけんなよ……そりゃあんたはいいけどさぁ……もう勘弁しろって」
「何を勘弁するのだ。私がお前を愛することに、何を勘弁する必要がある!? お前は私の愛に対して、負担を感じるというのか!?」
「そ、そーいうことじゃないって!」
「違うのか? ならばどういうことだ」
「だから、違うんだって……」
「では、良いのだな」
「あのなぁ!」
 神子はおもむろに起き上がると、王の頭をバシッとばかりに叩かれた。……もっとも、屈強な戦士でもある王にとっては軽いものであろうが、通常の男にしてみたらいささか強すぎる一撃やもしれない。
「だいたいあんたは単純なんだよ! ‘イエスかノーか’の、それしかないんだから」
「いえす?」
「だから……だからさぁ、愛するって言ったって、ソレだけが全てじゃないだろうって言ってんだよ」
 王は訝しげに眉をひそめ、首を傾けれらた。
「ソレとは、つまり肉体の結合のことか? ならば愛撫だけなら良いと言うのか?」
「だから、すぐソッチに行くなって言ってんだよ!」
「そっちとはどっちだ? 潤、お前の言う愛とは一体何なのだ? どうもよくわからんのだが」
「つまりさぁ……色々あるだろーが。別に寝台に上がらなくっても、部屋でまったり過ごしたり、外で‘デート’したりさ」
「でえと?」
「そう、デート。あーっと、こっちでは何て言うんだろ?」
「デートとは、一体何だ?」
「えっと……まぁ、デートにも色々あるけどさ、一般的には……外で待ち合わせして、「待った?」「ううん、全然」「じゃあ、行こうか」って感じで、手を繋いで二人で出かけて……色々遊んだりして……そんで、一緒にお茶飲んだりして……それから二人で並んで座って夕日を見たりして……帰りはカノジョを家まで送ってあげて……それで、別れ際に……あ、い、いや、これは別にいいんだけどさ。つまりそういうことだよ」
 神子はほんのりと頬を染めると、枕に顔を埋めておしまいになった。
 神子が仰ったことが何処まで正しいのかはわからないが、少なくとも王は神子のお言葉にいたく関心を惹かれたご様子である。
「それが、お前の世界で言う愛なのか?」
「愛っていうか……まあ、好きな人としたいこと、って感じで」
「……そうか」
 王は「好きな人か」と口の中で呟いて、大層嬉しげに微笑まれた。
「つまり、お前はデートがしたいわけだな?」
「えっ……べ、別に……ただ、たまにはそういうのもいいんじゃないかって話だよ」
「わかった」
 そう一言呟くなり寝台の上に立ち上がられた王を、神子は不思議そうなお顔で見上げられた。
「ジャハーン?」
「今夜は私の部屋へ戻る」
「えっ……な、なんで、どうしたんだよ一体」
 一体自分の何が王の機嫌を損ねたのかと、神子は慌てたご様子で起き上がられた。
 そんな神子の肩を掴んで寝台の上に戻すと、王はそっと白い額に口付けを与えられた。
「案ずるな、私は準備がある故戻るだけだ」
「準備って?」
「……明日の朝、遣いをよこす。お前はよく眠り、明日に控えておれ」
「何だよ、明日何があるっていうんだ?」
 王はしかし何も仰らずに、微かに微笑んで部屋を後になさった。
 おそらくこれから、王の側近一同が叩き起こされるのであろうが……それは神子のご存知ないところである。


 翌朝、乳香の香と共に爽やかにお目覚めになられた神子は、ピピに手伝われ身支度を整えられた。
 常時よりいささか華美な衣装に、神子はそのほっそりとした首を傾げられる。
「なんで今日はこんなにめかしこむんだ?」
「ご存知ないのですか?」
 ピピは驚いたように両目を見開いた。
 神子御付きの者となって早一年強、近頃頓に大人びて何処か王宮に仕える者としての貫禄さえ出てきた彼であったが、こういう表情をすると途端に年相応の幼さを覗かせる。
「今日はとても大切な儀式があると王から伺いましたが」
「儀式ぃ?」
「はい。ですが、王と神子のお二人だけで執り行われるものですから、ごくささやかに盛装させよとの仰せでした」
「何のことだよ、一体」
 神子はますます訝しげなご様子だったが、やがて諦めたかのように微かに頭を振られた。
「まあ、あいつが訳わかんないのはいつものことだからな。また何か変なことを思いついたんだろ」
 付き合わされる俺らはたまったもんじゃないよな、と神子はピピに話し掛けられたが、ピピは困ったように微笑するだけであった。王族のお側に仕える者として、たとえ恐れ多くも友人同然に思ってくださる神子と二人きりでも、王の非を認めるような発言はしてはならないのである。

 何はともあれ、支度を終えられた神子は、ピピに導かれて王の御前に急いだのであった。