翌朝、王子達を起こそうと寝室に向かったシフラは、ウセル王子の寝台の上で二人の王子と神子が眠っているのを発見し、腰を抜かさんばかりに驚いた。王子の寝台はそれ程大きくはない。神子を間にはさんで三人がぎゅうぎゅうに詰めて寝転がっているので、今にも端から落ちてしまいそうだった。
「な……何てこと!」
 このようなことは、まったくもって前代未聞である。
 神子たっての希望で、王子達の部屋と王妃の部屋の間には、距離が近いということもあり警備の兵を置いていなかったのだが、まさかそれがこんな事態を引き起こそうとは。
 このことを、王は果たしてご存知なのかしら?
 衝撃から立ち直ったシフラは、気を取り直して声を張り上げた。
「ウセル王子、ラダメス王子……み、神子! 朝にございます。お目覚めくださいませ!」
「んん……? あ、シフラ……」
「おはようございます、ウセル王子」
「おはよう。ラダメス、母上、起きろ……」
 ウセル王子が二人を揺すると、ラダメス王子はすぐに目覚めたが、神子はまだ眠たそうにむにゃむにゃ言うだけであった。
「うう、ん……も、少し……」
 その罪のない、あどけなさの残る寝顔にシフラは何故かどぎまぎしながら、再び大声を出した。
「王妃! 太陽はもう昇り始めております。お目覚めくださいませ!」
「なんだよ……ジャハー……ん?」
 ぼんやりした顔でシフラを見つめて、その後二人の幼い王子の顔を交互に見比べてから、神子はガバッと飛び起きた。
「えっ! な、なんで……」
「おはようございます、母上」
「おはよーございます、母上。母上は、おねぼうさんだね」
 ケラケラと楽しそうに笑うラダメス王子を呆然と見つめるうちに、神子はやっと自分の状況を把握したようだった。
「あ……そっか……。おはよう、ウセル、ラダメス。怖い夢見なかったか?」
「ウン、大丈夫だ。やっぱり母上はすごいな」
「ハハ。な? 平気だったろ?」
 楽しげに笑いあう、その美しい光景に影を指すようで心苦しかったが、シフラは心を鬼にして厳しい声を出したのであった。
「……一体これはどういうことか、ご説明をお願い致します」

 一方、まんじりともせず夜を明けた太陽王はと言うと、今日も早々と王の間において何やら難しい顔をしていた。
「あれは、どうにかならんのか!」
 二人の王子は自分の実の息子である。
 不幸な事件の後で、まだ幼い二人が不安な想いをするのはわかる。その二人が、優しく奇麗で、傅育官や他の家臣のように堅苦しいことを言わない神子を慕うのは、無理もないとは思う。
 しかし、わかっては居ても面白くないのが男心である。
 ましてや王家は、家族の繋がりが婚姻に結びつくのだ。
 神子を愛する一人の男として、この状況には黙っていられない。黙ってはいられないが、面と向かって堂々と異議を唱えるのも少々気が引けるのだ。以前それで神子に怒られたことでもあるし。
「やはり、とりあえずの処置とはいえ、王子に女の傅育官をつけたのが間違いだったのでしょうか」
 ケルエフ神官が渋面を作って溜息をついた。
「いずれ良き男の傅育官を見つけて、それぞれの王子へおつけするつもりでしたが」
 王の子供の教育係である傅育官は、王子なら男、王女なら女がつくと決まっては居たが、今回は突然の事件ですぐには人材が見つからなかった上、王の農地視察などで王宮も慌しかった為、伸ばし伸ばしになっていたのだった。
「しかしウセル王子も、ラダメス王子も、いずれは王になられるやもしれぬ御方。誰でも良いと言うわけには参りませぬ。とりあえずは何か他の手立てを考えた方がよろしいでしょうな」
 ケルエフ神官の言葉を受けて、王は苛立たしげに腕を組みかえた。
「やはり良い人材は居らぬか」
「心当たりが無くもないのですが……しかし、お二人には乳母すら側におつけして居りませぬ。まだ幼くていらっしゃるのですから、母親代わりの存在は必要かと……」
「ああ、わかった。もう良い。ならばケルエフの申す通り、他の手立てを考えるしかあるまい」
 そう言って、王はしばし沈黙して考えを巡らせた。
「そうだ……その手があったか」
 ふいに王の口から漏れた呟きに、側に控えていたムスタファ将軍が顔を上げた。
「何か浮かばれましたか、王」
「おお、ムスタファ。お前に至急用意してもらいたいものがある」
「はっ。何なりと」
「良いか、ただちに用意せよ。潤が武術訓練で留守にしている間に、二人を呼んでそれを与えるのだ」
 王はあたかも戦の作戦を申し渡すがごとく、不適な表情で語り始めたのであった。

 それからしばらく後。
 神子は王子達と共に朝食を摂ってから、後宮部隊の武術訓練へと出かけて行った。
 それを見送った王子達が、それぞれの教師の元で勉強をしていると、父である太陽王の遣いが二人を呼びに現れた。一体何の用件であろうかと二人が不思議に思いながら王の間へ出向くと、そこには見たことのない生き物が居たのだった。
「うわあ! 父上! 一体これは何です?」
 ウセル王子は純粋に驚き、そしてその未知なるものへの好奇心から、目を輝かせて父に尋ねた。物怖じしない性格は父親譲りのようだ。
 それとは逆に、まだ4歳になったばかりのラダメス王子は、恐怖の余り涙を浮かべながら兄にしがみついた。
「いやああ、あれ何? 兄様。うごいてるよお」
 玉座に座っていた王は立ち上がると、おもむろにその生き物の首根っこを掴み、二人の側に歩み寄った。
「これはな、犬だ」
「いぬ?」
 ウセル王子は書物によく出てくる名前に、俄然興味をそそられたようだった。
 その犬はまだ仔犬らしく、小柄で、顔立ちはあどけなく愛くるしかった。
 薄茶色のなめらかな毛並をしていて、近くで見るととても細く短い毛だった。ほっそりした体に、華奢な足を持っている。大きな耳は心持ち後ろに垂れていて、内側は淡いピンク色だった。僅かに茶がかった黒い瞳が、クリクリと不思議そうに王子達を見つめている。
 ウセル王子は、ひと目でこの犬が気に入った。
 犬も王子の好意を敏感に感じ取ったのであろうか。
 ウセル王子がそっと伸ばした手を、嬉しそうに小さな舌でペロペロと舐めた。
「あっ舐めた!」
 兄の笑顔を見つめて、ラダメス王子もおっかなびっくり手を伸ばし、そのお尻の辺りを撫でてみた。するとその細い奇妙な尻尾が、ピョコピョコと元気よく左右に振れた。
「兄様、犬のしっぽがうごいた……」
「きっと嬉しいんだ。機嫌が良いと犬は尾を振るのだと、書物に書いてあったぞ」
「うれしいの?」
「ラダメスが撫でたから、それが心地よかったのだ」
「なでると、ここちよいのかぁ……」
 二人の様子を見て満足そうに頷くと、王はその犬をウセル王子の腕の中にそっと落としてやった。
 王子は慌ててその犬を抱きかかえた。
 腕の中の犬は本当に華奢で、軽く、そして温かかった。
「この犬をお前達に与えよう」
「えっ?」
 二人は驚いて父親を見上げた。
「二人で力を合わせて、この犬を育てるのだ。良いな?」
 ウセル王子とラダメス王子はお互いの顔を見合わせて、それから満面の笑みを浮かべて力いっぱい頷いた。
「はい!」
 嬉しそうに犬を見て話しながら、王の間を後にする二人を見やって、王はひそかにほくそ笑んだのであった。