ゆらゆら揺れている。 水の音が聞こえる……それから何かがきしむような音……。 不思議な匂いが立ち込めている……甘ったるいような……頭の芯が痺れるような……。 ゆらゆら……ゆらゆら……揺れている……ここは一体何処だろう? ぼんやりと目を開けると、木目の天井が見えた。 「目が覚めたかい?」 その声にはっとして飛び起きると、鳩尾と頭がひどく痛んで、俺はうずくまった。 「おや、痛むみたいだね。無理をしない方がいい」 その優しい声色……発音が少しジャハーン達とは違う、大声ではないのに不思議とよく通る声。 俺は顔を上げた。そして、自分の直感が正しいことを知った。 「やあ、また会えたね、ジュン」 亜麻色の長い髪をひとつに結っている、この男は……間違いない。あの日、市で会った男だった。 具合の悪かった俺に、ハイビスカスのお茶を差し出した、あの男だった。 笑顔は場違いなほど優しく、それでもやはりその淡い紫色の目は少しも笑っていなかった。 「あ、あんた……どうして……いったい、何でこんなこと……」 「申し遅れたね。僕はユクセルというんだ。アスワン王国の第二王子だよ。以後お見知りおきを」 芝居掛かった仕草でお辞儀をするユクセルを、俺は呆然と見上げていた。 アスワン王国? 第二王子? 一体何だってそんな奴がここに? 「よくわけがわからない」 ユクセルが面白そうに言った。 「そう顔に書いてあるよ」 俺は思わず顔に手をやった。それを見て、ユクセルはクスクス笑う。 「ハハハ、別に文字が書いてあるわけじゃない」 「そんなこと、わかってる!」 カッとなって俺は言い返した。 「ここは、どこ? あんた、なんでこんなことした? 俺をもとに帰せよ!」 「悪いけど、そういうわけにはいかないんだ」 ユクセルは困ったように肩をすくめた。その仕草のひとつひとつが、俺を馬鹿にしているような気がする。 「君は、神子だろう」 「俺は、神子なんかじゃない!」 「おや、そうかい? 自覚がないのかな。ま、事実がどうだろうと構わないんだよ。重要なのは、君が神子だと周囲に信じられているという事実だ。君が貴重な存在だと、ね」 「え……」 「つまり、僕には君が必要なんだよ、ジュン。正しくは、神子という高貴な存在が」 「な、なんで……俺、なにもできない。何も力ないのに」 「別に君に何かしてもらおうだとか、そんな気はさらさらないよ。ただ、君を手に入れたのが僕だ、ということに意味がある」 その時、俺はかつて湯殿でアマシスに聞いた話を思い出した。 アスワン王国には若い王子が二人いて、その即位をめぐって争いがあるという……。 「王様、なるのに……俺が必要、だから?」 「ご明察。なかなか鋭いね」 「で、でも、なんで俺なんか……」 「僕はね、ただでさえ不利なんだよ。側室の息子で、第二王子。それだけで、あの馬鹿で低俗な男に負ける原因になってしまう……でも君がいればそれを覆せる。神の力を借りた王なんて、もっとも貴族の好みそうな存在だと思わないかい?」 そうかもしれない。 だけど、だからといって「はいそうですか」なんて納得できるわかがない。 「それとこれとは、別! 俺を、帰せよ!」 「だから、そういうわけにはいかないって言っただろう。聞き分けのない子は嫌いだよ」 そして、フッと鼻で笑った。 「身体に言って聞かせるしか、ないみたいだね」 「え……」 ユクセルにゆっくりと圧し掛かられて、俺は抵抗しようとした。そして、身体に力が入らないことに気がつく。 「な、なんで……ち、ちからが……」 「抵抗されると面倒だからね、少し香を使わせてもらったんだ。君の身体の力を抜いて、敏感にしてくれる。とても高価なものだよ……僕? 僕は耐性ができているから、効かないんだ」 「や……やめろよ!嫌だっ……は、放せ!」 その手で身体をまさぐられて、俺は全身に悪寒が走るのを感じた。 違う……ジャハーンの手じゃない。そのどうしようもない違和感が、俺を打ちのめした。 「嫌がって見せる必要なんかない。君はジャハーン王のハーレムで彼に腰を振っているんだろう? その相手が僕になったというだけのことだよ」 その時、俺ははっきりと感じた。 ユクセルは、俺を明らかに馬鹿にしている……いや、軽蔑しているということを。 ユクセルの手は、やがて俺の萎えたそこに辿り着き、妖しく蠢き始めた。 「い、嫌だ、嫌だ……やめろっ!」 俺は屈辱のあまり涙をこぼした。 悔しい。こんな奴に、犯られてしまうなんて! 愛情も何もない、悪意すら感じる相手に身体を弄ばれることが、こんなにも苦しいことだったなんて。 あの時は、違った。 俺が初めてジャハーンに抱かれた時は、無理矢理だったけれど、それでもジャハーンの愛情を感じた。言葉はわからなくとも、あいつが本当に俺を求めているのがわかった。だけど、今は……。 それでも皮を使って上下にしごかれると、俺はその快感に喘いだような声を出した。 「い、いやっ……ああっ、いやだぁあっ……」 「そうかな?ここはそうは言っていないみたいだね」 頭では嫌だと思っているのに、身体は反応してしまう。 その事実に、心が引き裂かれたように痛んだ。 「さすが、あの太陽王をくわえこむだけのことはあるな。綺麗な身体をしている……」 憎らしいほど冷静で、あくまでも優しげなユクセルの声に、俺は追い詰められていく。 ぐりぐりと爪を使って先端を責められると、その痛みすら伴う鋭すぎる快感に、腰が高く跳ね上がった。 「ああぁああっ!」 「声もいい。ほら、もっと泣いてごらん」 嫌だ。嫌だ。嫌だ。 そう思うのに、身体中をかけめぐるこの甘さに抗えない。 散々に翻弄された挙句、俺は悲鳴をあげながら吐精した。 ハアハアと荒く息をつきながら、止まらない涙を腕でぬぐう。その時、急に吐き気が込み上げてきて、俺は寝台の下に嘔吐した。俯くと、連れ去られる時に殴られた鳩尾に血が集まって痛んだ。きっとひどいアザになっているだろう。 ひどい屈辱と、敗北感に、俺の自尊心はズタズタだった。 こんなことぐらいで、泣きたくなんかない。そう思うのに、気が昂ぶりすぎて涙腺が壊れたのか、後から後から熱い涙が溢れてきて、俺の頬を濡らした。 畜生! 畜生! こんな弱い自分が情けなく、そして腹立たしかった。 「気分が悪そうだ。少し無理をさせてしまったようだね」 こうして俯いて声だけ聞くと、よくわかる。その声は優しくなんかない。それに含まれた笑みは、間違いなく嘲笑だった。 「うるさい……黙れッ……」 獣のようにうめく俺に、ユクセルはおやっと言う風に声の調子を変えた。 「さすがにあの太陽王の相手をするだけはあるなぁ。これくらいじゃ足りないんだね。男を咥え込まなければ気がすまないのかな」 俺は出来る限りの殺気を込めて、ユクセルを睨み上げた。 「犯りたい、それなら、犯れ! ……俺は、男だ。お前なんか、負けない! 絶対負けない!」 日本語が通じるものならば、俺はありとあらゆる言葉で罵ってやったことだろう。でも俺は頭に血が上っていて、ただでさえ乏しい語彙力だというのに、後から考えると「ガキの喧嘩かよ」と思うような文句しか思い浮かばなかった。 だけどその掠れた情けない暴言は、ユクセルには少しは効いたのだろうか。その口元から笑みが消えたかと思うと、底冷えするような視線で俺を射すくめて来た。 「いくら可愛い顔をしていようが、誰が好き好んで男なんか抱くか。それもお前のような素性もわからぬ陰間を。同じ空気を吸っているというだけでも、汚らわしい」 俺の存在自体を認めないと言わんばかりのその言葉に、俺は頭を殴られたようなショックを受けた。 今まで生きてきて、こんなことを言われたことがない。いくら強がっても、俺は所詮、ぬくぬくと育って来た世間知らずの甘ったれたガキに過ぎなかったのだ。情けないが、事実だ。だって今、こんなにも傷ついている。大嫌いな野郎なのに、そいつにここまで軽蔑されているのだと知り、俺は魂が震えるほど傷ついていた。 その時、ユクセルがチッと舌打ちをした。 「何故そんな顔をする!」 俺はビクッとなってユクセルを見上げた。多分怯えているように見えただろう。実際、俺はひどく怯えていた。これ以上ひどい言葉を吐かれたくなんてなかった。それは暴力よりも俺を痛めつけ、心を冷たく凍りつかせるから。 ユクセルはその時初めて、嘲笑でもない、軽蔑でもない、苛立ちを含んだ熱のある目を見せた。 「僕をそんな目で見るな!」 怒鳴るというよりも、ただ大声を出したというような感じだった。 ユクセルは俺の視線を振り切るかのように踵を返すと、逃げるように船室を出て行った。 俺はしばらくクッションを抱きしめて震えていたけれど、やがてひどい疲労と、香の匂いに導かれるようにして眠りに落ちていったのだった。 眠りに落ちる直前、俺の名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたけれど、それは夢だったのかもしれない。 |