ジャハーンはいつも、朝になると仕事に行ってしまう。
 どんなに激しく運動した後でも、俺が起きる頃にはベッドにその姿はない。
 ジャハーンの仕事は、公務という。
 王としての政治。俺には詳しいことはよくわからないけど、けっこう大変なことなんじゃないかと思う。
 日中ジャハーンが居ない間、俺はいつもアマシスやピピと時間を過ごしている。
 アマシスのセクハラをかわしたりかわしきれなかったり、ピピを交えて勉強したり、他愛のないお喋りをしたり、そんな毎日だ。楽しくないということはないけれど、最近退屈を覚えてきたのも事実だった。
「さあ、今日は王位継承権についてよりくわしく勉強致しましょう」
 すっかり教師が板についてきたピピが、真面目な顔をして言った。
 アマシスは、勉強の時間になると大体俺のベッドに横になってゴロゴロしている。
「王位継承権が女性にしかないというのは、前回お話致しましたね」
 幼い顔に似合わずしっかりとした口調で言うのに、俺は「はーい」と返事をした。
「ですから王となる為には、王妃か王女と結婚しなければなりません」
 それも前回聞いた。近親婚かよ! と度肝を抜かれた事実である。
「今日は、例外についてお教え致します。まず、王は国を統治する指導者であると共に、あらゆる神事を司る神官でもあります」
 ふむふむ。
「そして王族は、齢8歳になられた時に預言者によって人生の伴侶、花嫁の存在を告げられます。我らが王の場合は、レーィ神に遣わされし少年。神の言葉を話し、両手を合わせることによりその身分を示すという……神子のことでございました。これは稀なことです。たいてい王女か王妃の名が告げられるものなのです。神子、もしくは神を伴侶として定められた王子、あるいは貴族は、国王の死と共に王として存在を認められます。女性は高貴なる存在ですが、神、また神子はそれ以上の至高の存在であるからです。しかし、至高の存在を伴侶と告げられた王は、伴侶と出会うまで正式なものとは認められません。王であって、王ではないのです。過去に神や神子を伴侶定められた王は多く在りますが、そのほとんどが伴侶と出会えないまま、不完全なまま死に至っています。不完全な王は自らの墓を作ることすら出来ません。これが、王位継承権における例外的な王です……そして、我らが王ジャハーン様は、この不完全な王でした」
 うーん、誰が決めたんだか知らないけど、ややこしいルールがあるんだな。
 それにしても、俺の常識からいくと、王の一番目の息子が王位を継承するっていうのが普通なんだけどな。この土地では血が繋がっていようがいまいが、王妃か王女、神か神子と結婚すれば王様になれるわけね。だからお嫁さんの立場が強いわけか。なるほど。
「また、通常は、婚儀の夜まで花婿は花嫁の顔を見ることすらできません。ですが神子と王の場合は……」
 そこまで言って、ピピはちょっと顔を赤くした。ひょっとしてあの時のことを思い出してる?
「ま、まあ、出会いが先と申しますか、初めから顔を合わせているのですから、多少順番が異なるのは仕方のないことと思われます。神や神子と結婚する王など滅多に居られないわけですから……しかとは言い難いのですけど」
 ……まあ、ね。顔合わせるとかそーいうレベルの話じゃないよな。何つっても出会ったその日にセックスしちゃってんだから。
「それでさ、結局のところ、王と潤の婚儀はいつなわけ?」
 ゴロ寝に飽きたのか、アマシスが珍しく口を挟んできた。
「は、はい、あの……追加日に行われると伺ってます」
「追加日って?」
「年末と年始の間にある、5日間の祭日のことです」
 へえ、そんなのあるんだ。ゴールデンウィークみたいだな。いや、どっちかって言うと大晦日みたいな感じ?
「じゃあ、冬?」
「何でだよ。追加日って言ってただろ。夏だよ、夏」
 そっか。考えてみれば大晦日が冬とは限らないよな。それにしても、ここって季節なんてあるのか?
「今っていつ?」
「今は、収穫期の2月です。追加日までは、あと二ヶ月強あります」
うん?追加日まで二ヶ月ちょっとっていうことは、日本でいう10月ってことかな。
「ああ〜っ、二ヵ月後には、潤はとうとう王のものになっちゃうのかぁ」
「別に、ジャハーンのもの違う。……俺は俺だもん」
 ていうか、未だにピンと来ないんだよな。俺とジャハーンが結婚するっていうのが。
「はあ……」
 それにしても、もういい加減この生活に飽きてきた。
 こうやってピピやアマシスが毎日相手してくれるのはいいけど、ここに来てからええと、どのくらいだろう?二ヶ月くらい? こうして後宮の中に閉じ込められてるんだもんな。時々庭を散歩したりするけど……こんな運動不足じゃストレスも溜まるっつーの。
『つまんねーよ〜。どっか行きてー。遊びてー』
「え? 何て言ったの?」
「俺もうやだ。ここ飽きた。外行きたい」
「ええ〜っ! 飽きたって……」
「外行きたい! それか帰りたい〜」
「み、神子!」
「潤!」
 二人は青い顔をしてガバッと起き上がると、お互いの顔を見合わせた。
「ど、どうする?」
「どうすると言われましても……どどどどうしましょう?」
「と、とりあえず潤の気を紛らわせないとね」
「神子がお帰りになる……なんてことに万が一なったら……こ、怖いようっ」
「おいっ、縁起でもないこと言うな! 何か、何かないのか? 潤を楽しませるようなことは」
「ええと、ええと……」
 二人で顔をつき合わせて、何やらボソボソやってる。こいつらも仲良くなったもんだなぁ。
 そうだ。ピピの家って何処なんだろう。ここに住み込みで働いているみたいだけど、前に自分は一族のなんたらかんたらとか言ってたから、けっこう大きな家族なんじゃない?
「ねえ、ピピの家、何処?」
「えっ?」
「ピピの家、遊び行きたい」
「えええええっ、無理です無理です! 僕の家すごく遠いんです! アテンなんですよ!」
「それだっ!」
 アマシスが指をパチンと鳴らせた。おおっ、この動作は世界共通なんだな(ここ異世界だけど)。
「それだよ!」
「僕の家ですか?」
「ばーか。アテンくんだりまで行けるわけないだろ。遊びに行くんだよ、街にさ」
「えええええッ!」
「僕だってお忍びで遊びに行ったことあるし、楽しいよあれは。市場に行って、自分で装飾品を買い付けたりさあ。けっこう後宮のやつらはやってるんじゃないかな」
「そんなことが王に知れたら、僕殺されちゃいます!」
「ええっ、殺す許さない!」
「大丈夫だよ、その時は僕みたいに、ほら、潤が命乞いしてくれるからさ」
「だけど、だけどそんな」
「うるさいなッ! だったら潤が帰ってもいいって言うのか?」
「とんでもありません!」
「だろ。よし、そうと決まれば計画を練らないとな」
「ねえねえ、遊び行く?」
「うん。街に連れてってあげるよ」
 マジで? ラッキー! 街って、なんか超楽しそうじゃない?さっき市場って言ってたよな。この世界の市場を見せてくれるわけ? うわあ〜、すっげえ面白そう。
「ねえ、いつ行く?」
 ウキウキして尋ねる。
「様子を見ないと。王がなるべく長く留守をする日じゃないとね。そうだ、カリムの奴に手伝わせよう」
「カリム?」
「王の親衛隊に入ってるんだ。軍人だからとにかく護衛にはなるし、王の予定も把握してるだろうしね。我ながら名案だよ」
 親衛隊ねえ。ボディーガード集団って感じか?
「アマシス様は、カリム様と親交がおありなのですか?」
 ピピが不思議そうな顔をして尋ねると、アマシスはにやっと笑った。
「まあね。以前ちょっと頂いちゃったことがあってさ」
 ? 何を?
「それが聞いてよ。王の共をしてて、うっかり後宮の庭に迷い込んじゃったみたいでさぁ。うふふふ。けっこう男前だから、ちょっとからかってやろうと思ってわざと裸同然みたいな格好して泉のとこに寝そべってたわけ。僕を見つけた時の、カリムのあの驚きようったらなかったね! 一瞬真っ赤になって、それから真っ青になってバッと顔を背けてさ。失礼致しました! なんつって去ろうとするから、言ってやったわけ。王の一番の寵愛を誇る僕の裸を見て、只で済むと思っているのか! ってね」
 うわ〜、何やってんだよこいつは。根性曲がってんなほんとに。
「カリムったら、ピタッと立ち止まって泣きそうな声出しちゃってさ。か〜わいいの。まだ十代だったのかな、あの時って。まあ僕よりは年上だけどさ。それでね、無礼を働いたのはお詫びするから許してくれ、どうしたら許してくれる、って聞いてくるから、じゃあこっち来いって言ったの。何してくれる?って聞いたら何でもっていうから、それじゃあっていうことで、頂いちゃったんだよね」
 頂イチャッタンダヨネって……お前、それって。
「大丈夫、最後まではしてないから。ただ、ヌいてやっただけ。このことを秘密にしておいてやるから、僕に協力しろっていって、時々言うこときいてもらってるんだ」
 げーっ、恐喝じゃんそれ。そのカリムって奴も、かわいそうに……。
「そういうわけで、カリムは僕に逆らえないからね、安心して潤」
 まあ、そんな弱み握られてるんなら、逆らいたくても逆らえないよなぁ。
 
 結局この話は、ジャハーンが帰ってきたので一旦お終いになった。
 でもアマシスは水面下で計画を行動に移すべく何やら色々やっていたようで、それから3日もしないうちに俺とアマシス、そして泣く泣く悪魔の手下にさせられたかわいそうなカリムは、市場の喧騒の中にその身を置いていた。