ムテムイアの遺体はミイラにされて、建設中の神殿の地下の小さな玄室に埋葬されることになった。俺は彼女の遺体をミイラにすることにかなり抵抗を覚えたけれど、こうすることで精神と肉体が再生復活し、来世において幸福に暮らすことができるのだという、こちらの宗教観に従うことにした。それに、自分の息子が建設に関わっている神殿で眠ることができるのならば、ムテムイアにとっても良いことなんじゃないかと思えた。 俺は死者の書を抱えたムテムイアの胸元に、たくさんの青い睡蓮の花を供えた。願わくば冥界までの孤独な道のりを、この花が心慰めてくれるように。 祈りの言葉と共に玄室の扉が閉じられ、硬く封印された。彼女は王妃でもなければ偉大な権力者というわけでもなかったけれど、それでもやはり、ムテムイアは後宮の女王だった。そんな彼女を讃えて、こうして埋葬したのだ。 ここに埋葬されたミイラの名前を、リシクは知らない。 俺はよっぽど全てを話してしまおうかと思ったけれど、今更話しても仕方の無いことだと思い、全てを俺の心の中にしまっておくことにした。 これでいいんだよな? ムテムイア。 そして、俺とムテムイアに襲い掛かった、ミリアムという側仕えがどうなったか。 彼女は国の有力貴族の娘で、かなり気位が高かったという。いくら自分達は神子が来るまでの存在なのだと言い聞かされても、王子を産んだ自分がないがしろにされるのが耐えられなかったのだそうだ。そこに、俺が自分達を疎んじて、その存在を子供達もろとも抹消するのではないかという被害妄想に取り付かれ、半ば正気ではなかったらしい。 ジャハーンは一族皆殺しだと怒り狂っていたけれど、俺はミリアムを家族のもとに帰してやってくれと頼み込んだ。あの時は本当に怖かったし、ムテムイアを死に至らしめたのは許せないし、憎いとも思うけれど、それとこれとは別だ。怒りにまかせて人の命を奪う権利なんて、俺達には無いはずだ。 それにまた血を流して、悲劇をもっと悲惨な物にする必要なんてないだろ? ミリアムの息子であるラダメスと、ムテムイアの息子のウセルは、俺が手元に引き取ることにした。と言っても、俺の手で育てるわけじゃない。本当はそうしても良かったんだけど、それだけはジャハーンが頑として認めてくれなかったからだ。二人は俺の庇護の下、ムテムイアの次に古くから居るシフラという女の傅育官に育てられることになった。 こうして、後宮には平穏が戻った。 けれど、全てが終わったわけじゃない。 まだ問題は、根本的に何も解決していなんだ。 ミリアムがあそこまで追い詰められていたということは、多かれ少なかれ、後宮の側仕え達はそういう不安を持っているのだろう。今となっては王の相手をすることもなく、暇を持て余す毎日で、余計な不安を感じてしまうのかもしれない。 そのモヤモヤを解消してやらなければ、これからまたこういう事件が起こるかもしれないと思ったんだ。 それなら、ストレス発散の場を作ってやればいい。 しかも、お互いにコミュニケーションが取れて、俺もその場に参加できるような。 “神子も、自分のやるべきことを見つけるとよろしいのではないでしょうか” そのムテムイアの言葉を、今実践する時が来たみたいだ。 今動かなければいつ動く? そういうわけで、俺はジャハーンに提案したのだった。 「だからな、軍隊を作ろうと思うんだよ」 「はあ?」 ジャハーンは思いっきり怪訝そうな顔をした。 「一体何故、そこに‘だから’が入るんだ? 何の脈絡もないではないか」 「脈絡ならあるよ。後宮の女達でさ、一つの部隊を作るんだよ。そのリーダーは俺。そんで、皆で力を合わせて王を守るわけ」 「馬鹿なことを言うな。女の細腕で剣など握れるか。お前にも無理だ」 「そんなのやってみなくちゃわからないだろ。アマゾネスとかいう女戦士の集団もいたくらいだし……。それに、何も本気で武力であんたを守れるなんて思ってない。ただ、そういう大義名分が必要なんだよ。側仕え達は、今はあんたの相手をするわけじゃないし、子供達だって自分の手で育ててるわけじゃない。何もすることがないんだ。人間って、やっぱり何か仕事がなきゃダメなんだよ。じゃなきゃ、どんどん精神が腐って行ってしまうんだと思う」 「それは、確かにそうかもしれんが」 「その点、武術なんかいいじゃんか。身体を動かしてストレス発散にもなるし、皆で顔を合わせて話せば、不安もなくなるだろ。それにまあ形だけとはいえ、一応王の役に立ってるんだっていう自信も湧くと思うんだ。それに俺だって、一応男だし、武術ができた方がいいと思って……ムテムイアがかばってくれた時、俺何にもできなかった。ただブルブル震えて、腰抜かしてることしかできなかったんだ。俺、俺……自分が情けなかった」 「潤……お前の気持ちはわかった。だが、やはりそれだけは認められん。武術の稽古などして、万が一のことがあったらどうする? いかな女の腕とは言え、刃物で刺せばお前を殺すことだってできるのだ。そんな危険なことは許さん」 「だからさあ、要はそこなんだって!」 俺はその場で地団駄を踏んだ。 「元々、彼女達は俺の存在を聞かされて側仕えに上がったわけだろ? だから最初から俺に恨みを抱いてる人間なんて居ない筈なんだよ。なのに今回こういうことが起きた。俺が彼女達を殺そうとしてるなんていう、とんでもない被害妄想が沸き起こった。俺と彼女達の間に距離があるからそうなるんだよ。俺と直に顔を合わせて、それできちんと話せば、俺がそんなことこれっぽっちも考えてないっていうことがわかるだろ?」 「潤、お前は甘いのだ。物事はそう簡単にはいかん。何かあってからでは遅いのだぞ」 「稽古には実際の剣を使わなきゃいいだろ。それに、腕の確かな先生役が数人居たら、何かあっても対処できるし……。大切なのは、危険な目に合わないように気をつけることじゃない。危険なことが起こらないように、原因を解決することじゃんか。それに、みんな若い女の人なんだよ。何もせずに後宮でジッとして、このまま老いていくなんてつらすぎると思う」 「…………」 ジャハーンは腕を組んで、むっつりと押し黙った。いかにも不機嫌そうな顔だけど、そんなのに怯むもんか。 「なあ、ジャハーン、お願い」 俺はジャハーンの首に両手をかけて、顔を覗き込んだ。その金の瞳が、明らかに迷いの色を浮かべて揺れている。その瞳を見つめながら、駄目押しとばかりにチュッと額に唇を落とした。 「ムテムイアの死を、無駄にはしたくないんだ」 「…………………………わかった」 ものすごく苦いものでも口に含んでいるかのような口調だったが、ジャハーンは確かに認めてくれた。 「だが、私もついて行くぞ。一人では絶対に行かせられん」 お前、毎日公務で忙しいのにそんな時間あるのか? そう思ったけれど、せっかくお許しをいただいたというのに、余計な口をはさむことはない。 俺は素直にウンウンと頷いたのだった。 そしてその日はやって来た。 後宮の側仕え達総勢15名を一室に集め、腕の立つ戦士を数名(俺の希望でカリムも入れておいた)を引き連れて、俺はジャハーンと共にそこへ向かった。 側仕え達はみな地味な服装をしていて、ひと目でムテムイアの喪に服しているんだなということがわかった。ムテムイアがそれだけ皆に信頼されていたという何よりの証だった。それぞれに不安そうな面持ちを隠せないでいる。 俺は部屋の奥の一段高くなっている所に立ち、皆の顔をしっかりと見回した。 「……まず、ムテムイアの魂が神々に認められることを祈りたい。そして、このような悲劇を二度と繰り返さない為にも、俺から皆にきちんと話をしたいと思う。……俺は、神子として、王妃として、この国を、国民を、そしてジャハーンを守っていきたいと思っている。もちろん皆もその気持ちは同じだよな?」 返事は期待していなかったが、側仕えの一人が「もちろんですとも!」と勇ましい声を上げた。 それに微笑みながらひとつ頷いて、俺は続けた。 「国民の中には、もちろん皆も含まれている。俺が皆を殺そうとしているなんて噂もあったみたいだけど、そんなのはまったくの出鱈目だ。俺は、皆と協力してジャハーンを守っていきたいんだ。……だから、俺から提案がある。妙な疑いは持たずに、素直な気持ちで聞いて欲しい……俺は、側仕え達で一つの部隊を作ろうと思ってるんだ」 「どういうことでございましょうか?」 さっき返事をした、焦げ茶色の髪の女が声を上げる。彼女は中々気が強そうだ。 「つまり、みんなで武術の訓練をして、そして俺を中心として、部隊を形成するんだ……王を守る為に」 女達の間に大きなどよめきが走った。 |