「静かに、皆、落ち着いて」
 俺が声をかけても、中々動揺は収まらなかった。それぞれが口々に何かを言いながら、信じられないという顔をしている。
 見かねたようにジャハーンが鋭い一喝をした。
「静かに!」
 途端に、ピタッとざわめきが収まる。……ちょっとゲンキンじゃないかそれって。まあわかるけどさ。
「潤の言葉は神の言葉と思って聞け!」
 ジャハーンの声に、皆が一斉に姿勢を正して俺を見上げた。
 俺はまいったなぁと思いながら、ポリポリと頬を掻いた。
「えーと……神の言葉っていうのは大袈裟だけどさ。それで、部隊のことだけど。これは別に強制ってわけじゃない。身体の弱い人もいるだろうし、まあそういう人は武術には加わらないで‘マネージャー’っていうか……何ていうのかな、まあ、こまごまとした雑用なんかをやってくれればいいし。けして強制ではないけど、でも真剣に考えて欲しい。これは皆に与えられた仕事なんだ。大切な、役目だ。だから前向きに検討してくれると嬉しい。……俺の話は、これだけだ」
 言葉を終えると、焦げ茶色の髪の女がズイッと前に出てきて俺に一礼をした。
「神子、わたくしはアマゾネスの末裔、エマルーと申します。このエマルー、及ばずながらこの力、王と神子の為に尽くさせていただきとう存じます!」
「あ……」
 俺はその迫力にちょっと気圧されながらも、やっぱりすごく嬉しくて、駆け寄って彼女の手を握り締めた。
「ありがとう、エマルー! これから頑張ろうな!」
 我ながらどこの部活だよ、と思うような青春なセリフだったが、エマルーは感極まったかのように目を潤ませている。
「わたくし、誤解しておりました! 神子がこんなにもわたくし達のことを考えてくださっていたなんて! この上は、命をかけてお仕え致します!」
 うーん、どうやら熱い人のようだ。俺よりずっと背も高いし、はっきり言って握り返された手が痛い……。だけど男のプライド(?)にかけて痛いなんて言うわけにもいかず、俺は笑顔で耐えた。
 エマルーをぐいっと押しのけるようにして、華やかな顔つきの女が俺の手を両手で握って来た。
「わたくしはジグラッドの第八王女、アジーザと申します! 神子、かならずや貴方様のお役に立ってみせますわ!」
「あ、ありがとう、アジーザ」
 アジーザとエマルーは、一瞬お互いに睨み合い、すぐにフンッとばかりに顔を反らせた。
 ……エマルーはともかく、アジーザはエマルーへの対抗心から志願したって感じだな。
 すっきりとした顔立ちで、どちらかというとボーイッシュな感じのエマルーと、ぱっとした派手な顔立ちでいかにも女らしいアジーザとでは、なるほど気が合わないのも無理はない話かもしれなかった。
 真っ先に名乗り出たのはこの二人だけで、あとの女達はみな戸惑ったようにお互いの顔を見合わせていた。
「返事は、急がないよ。だからゆっくり考えて欲しい」
 俺がそう言うと、ジャハーンがおもむろに立ち上がった。
「さあ潤、もういいだろう。帰るぞ」
「あ……うん」
 ジャハーンに引きずられながら、俺はもう一度みんなの顔を見回した。
 俺の言葉が、気持ちが届けばいい。そう思いながら。

 その二日後、アジーザとエマルーの名前で、俺の許に書簡が送られてきた。
 そこには、側仕え全員が、部隊に入ることを希望していると書かれてあって、俺は安堵のあまり思わず涙ぐんでしまった。
 よかった。……本当に、よかった。
 俺の気持ちは、受け入れてもらえたんだ。
 ここからが、スタートだ。
 俺は目を瞑って、脳裏に甦るムテムイアの優しい笑顔に話し掛けた。
 俺、頑張ってみるよ。どこまでやれるかわからないけど、ムテムイア、あんたに代わって、後宮のみんなをうまくまとめていけるように……そして、ジャハーンを守れるように。
 だから、見守っていてくれよな。

 その時だった。
 ピピやアマシス、また女官達の騒ぐ声が聞こえて来た。
 何が起こったんだ?
 俺はムテムイアの事件のことを思い出してギクリとしたけど、声の調子からすると深刻な問題が起こったわけではなさそうだ。ぎゃあぎゃあと騒ぐ声の中心に、何だか高い声が聞こえる……これって、子供の声?
「なりませんウセル様! ここから先は何人たりとも通すなとの王の仰せです」
「何を言っている! お前達は通っているじゃないか。何故ボクが行っちゃいけないんだ!」
「お父上のお怒りを買いまするぞ!」
「そうなれば神子にかばってもらうさ。何せボクの母上だからな!」
「そ、それは形式だけのことであって……アマシス様っ、止めてください!」
「無理無理、僕はガキは苦手なんだよッ」
「そ、そんな……あっ、ウ、ウセル様!」
「ウセル兄様、待って!」
「あああっ、ラダメス様まで!」
 ドタドタという足音と共に、二人の子供が俺の部屋に入ってきた。
 赤っぽい金髪の、ジャハーンにそっくりな7〜8歳くらいの少年と、淡い金髪の、大人しそうな5歳くらいの男の子だった。
 二人は俺の姿を見るなり、アッと目を見開いてその場に立ちすくんだ。
 どちらからともなく、手をギュッと握り締めて、口をぱくぱくさせている。その様子が何だかおかしいようなかわいそうな気がして、俺は怖がらせないようにニッコリ笑って見せた。
「こんにちは。ウセルと、ラダメスだね?俺は、潤。黒石潤だよ。よろしくな」
 すると、二人はその柔らかそうな頬をうっすらと紅潮させて、おずおずと俺に笑い返して来た。
「こ、こんにちは、神子。ほら、ラダメスも挨拶しろ」
「…………こ、こ、こんにちは……」
 何だよ、かわいいじゃないか。
 俺は今度は心から微笑んで、二人に手招きをした。
「こっちにおいで。クッキー食べる? イチジクのしかないけど」
「え……あ、ウン」
 二人が恥ずかしそうに側に寄ってきた。
「いいの? そんなことしちゃって。王が怒っても知らないから」
 アマシスが後ろの方でぶーたれていたが、それは無視した。
 だってこの子達は、いわばこの事件の被害者じゃないか。そして、形式だけのこととはいえ、俺の子供達でもある。それを「王が怒るから」なんて理由で追い返せるかよ。
「それで、どうしたの? 俺に、何か用?」
 努めて優しく問い掛けると、ウセル(これがまたジャハーンを小さくしたみたいで、妙にかわいいんだ)が、そうだ思い出したと言わんばかりに、胸をグイと張った。
「ボク、いや、私は、今回の件について、第一王子として神子に礼が言いたくて来た」
「礼?」
「そう、ミリアムを処刑しないでくれたことと、ボク達……ゴホン、私達の庇護を申し出てくれたことについてだ」
「ああ、そのことか」
 ウセルは、幼い顔を精一杯凛々しく見せようと、一生懸命眉を吊り上げていた。俺はそんなウセルと、心細そうに俯いているラダメスの手を取って、二人の顔を覗き込んだ。
「そのことなら、気にしないでいいよ。一緒に暮らせないのは残念だけど、これからは俺のこと……お母さんっていうのは変だな、何て言うか……うん、そうだ。もう一人のお父さんだって思ってよ」
「えっ父上?」
 ウセルとラダメスはびっくりしたように声をあげて、お互いの顔を見合わせた。
「……父上って感じじゃないよな」
「……ウン」
「じゃ、じゃあお兄さんだと思ってくれればいいから」
「兄上? ……だって、神子はボ…私達の母上なんじゃないのか?」
「ははうえぇ?」
 おいおい、勘弁してくれよ。そりゃ、俺は男なのに王妃なんて呼ばれちゃってるけどさ。だけどちょっとそれはないんじゃないの?
「ちょ、ちょっと待ってよ。俺が母上って、それは無理があるだろ」
「でも、父上は、これからは神子を母上と思えと……」
「……あの野郎」
 いたいけな子供になんつーことを言ってるんだよ。王妃ってのは百歩譲ってまあいいとして、男の俺が、しかも16歳の俺が、この子達の母親?いくらなんでも無茶苦茶すぎる。
 だけど、どこか緊張したような面持ちで俺をジッと見上げている二人に、これ以上ムキになって否定することができなかった。まあ、本人達がいいって言ってるんだから、いいか。ああ、俺ってたいがい押しに弱いよな。
「うん、まあ、わかった。俺はこれからウセルとラダメスのお母さんだ。だから、仲良くしような」
 すると、二人がパッと顔を明るくして、無邪気な笑顔を見せた。
「ウン! 母上!」
「……でも、その母上っていうのはナシな。潤でいいから」
「ジュン?」
「そう、こういう字を書いて、ジュンって読むんだ。わかる?」
 二人は頬を上気させながら俺の手元を覗き込んで、嬉しそうに頷いた。
 あー、こういうの見ちゃうとな、なんかかわいくなっちゃうよな。
 弟が二人できたみたいで、ちょっと嬉しいかも。
 そんなほのぼのとした雰囲気は、突然響いたジャハーンの怒鳴り声によってかき消された。