太陽の光が神殿の中に降り注いでいた。
 うまく計算されているのだろう、日光が祭壇に続く道だけを明るく照らしている。
 ジャハーンと俺はその太陽の道をゆっくりと歩き、祭壇の前まで来ると、真東を向いた前方の窓に輝く太陽に向かって跪いた。
 亜麻の腰布と豹の毛皮をまとった神官長が、恭しく祈りの言葉を捧げ始める。
「天空を旅する太陽神よ、汝の息子ジャハーン・タ・メリを祝福したもう。この者はその武勇で以って王国を統べるであろう。シシロ大河の洞窟に住む水神よ、汝の遣い黒石潤を祝福したもう。この者はその知性で以って王国に繁栄をもたらすであろう。この二人が結ばれるは汝らの望み。今ここにその望みに従い二人を娶わせることを誓おう」
 ジャハーンは、若い神官が捧げ持つ青い睡蓮の花束を受け取ると、俺の両手にそっとそれを抱えさせた。
「神子よ、汝が王を愛し、導き、お互いに支え合って行くことを誓うならば、王に花を一輪与えたもう」
 俺は前もって聞いていた通りに、睡蓮の花を一輪抜き取ると、ジャハーンの髪にそれを挿した。
「誓いはなされた。さればその誓いが破られることのなきように、印を戴こう」
 別の若い神官が神官長の傍らに歩み出て、指輪の置かれた小さな台を捧げ持つ。金製で、文字が彫られている指輪だった。これってもしかして、結婚指輪ってやつだろうか。
「この指輪が丸く終わりのないように、黄金がけして衰えることのないように、二人の愛と絆は永遠である。例え冥界に旅しようとも、二人の肉体と魂は再生復活し、冥界と現世を何度も旅することであろう。さあ、太陽王、神子。汝らの左手の薬指に指輪をはめたもう。その指から心臓に向けて流れる愛の血が、けして途絶えることのないように」
 ジャハーンが金の指輪を取り、俺の指にはめた。俺も震える指でずっしりと重いその指輪を、ジャハーンの指にはめる。
「今ここに一組の夫婦が誕生した。これより二人は共同でこの王国を統治して行くであろう。天地の神々よ、この神聖なる王と王妃に祝福を」
 その言葉と共に、神官長をはじめ、全ての神官達が俺たちに向かって跪き、祝福の言葉で讃えた。
 俺はジャハーンに手を引かれて、祭壇に背を向けて歩き出した。広々とした儀式の間から階段を下りると、また他の大きな部屋があり、そこには多くの貴族や多分後宮の住人であろう、煌びやかな女性達が跪いていた。
「完全なる王と、美しき王妃に祝福を!」
 貴族の一人が声をあげると、他の皆がそれに倣って口々に祝福の言葉を発し出した。
「太陽王、万歳!神子、万歳!」
「偉大なる二人に祝福を!」
 俺は何だか恥ずかしくて俯きそうになったが、ジャハーンが小声で「顔を上げよ。王妃たるものけして俯いてはならぬ」と言うので、やけくその気分で前を向いた。
 すると否応なく目に入るのが、例の華やかな女性達の一団である。
 皆明るい髪の色をした綺麗な女性ばかりで、大体15人くらい居るだろうか。その横にまとわりつく子供達を合わせると、かなりの人数になるだろう。憎悪に満ちた視線を送ってくる人も居れば、呆然としている人も居るし、笑顔の人も居る。この女性達はみんなかつてのアマシスのような立場なんだなと思うと、かなり複雑な気持ちになった。
 その部屋から階段を下りるとまた大きな部屋があり、そこではまた他の貴族達が祝福の言葉を俺たちに投げかけた。その部屋を出ると広々としたテラスになっていて、その下の広間には、ぎっしりと群集が詰め寄せていた。俺はそのあまりの光景にただただビックリした。この人数は一体何だ?何千人、いや何万人居るんだろうか?
 ジャハーンが片手を上げると群集はワーッと歓声を上げ、その手をサッと下ろすとピタッと声が止んだ。ほんの微かに人が息をするどよめきが聞こえるだけで、その途方もなく広い空間が静寂に包まれた。
「我が愛すべき国民達よ、その祝福を嬉しく思う。余の名前はジャハーン・タ・メリ」
 俺も大きく息を吸って、一晩で暗記したセリフを吐き出した。
「余の名前は黒石・潤。王を愛し、王国を愛し、国民を愛す神子」
 俺の言葉が終わるや否や、群集はさっきにも増した歓声をあげた。あまりの音量に耳がワンワンするくらいだった。
 ジャハーンは再び手を挙げると、またサッと下ろして群衆を静めた。
「このめでたき日を記念して、国民達に贈り物がある。オリーブ油を各家庭にそれぞれ2壜ずつ、そしてワインを1樽ずつ、国庫から贈ろう」
 群集が歓声を上げる。そして、また静かになる。今度は俺の出番だ。
「王の伝令からもう聞き及んでいるとは思うが、20日以内には始まるであろうシシロ河の氾濫に気をつけよ。かつてない大量の水が急激に押し寄せるであろう。だが備えあれば危機は免れよう。国民全ての無事を心より祈っている」
 これで終わりだ。
 割れんばかりの歓声を聞きながら、俺はジャハーンに寄り添うようにしてその場に立ち尽くしていた。ここで笑顔で手を振らなければいけないんだけど、うまく出来ていただろうか。あまり記憶に残っていないが、後から聞いた話によるとちゃんとやっていたらしい。
 
 その夜には、盛大な宴が開かれた。
 今まで食事といえばジャハーンと二人きりだった。その食事もずいぶん豪華だと思ったが、今回のそれは比較のしようがなかった。王宮の大広間に有力な貴族達や王族達が集い、クッションにもたれて食事を食べたり酒を飲んだりしている。その間を綺麗に着飾った女達が飛び交うようにして給仕して回っている。薄布一枚を隔てた隣の部屋には後宮の住人達が陣取り、こちらも子供達の歓声や女達の笑い声が聞こえてきて賑やかだ。
 没薬の香の香りに混じって色んな食べ物、酒、香油の香りが鼻に届く。それだけで、宴に慣れない俺はすっかり神経が興奮してしまった。
 俺達二人は広間の中央の、少しだけ高くなっている所に絨毯とクッションを敷いて座り、さっきから祝いの挨拶を述べにひっきりなしにやって来る貴族の相手をしていた。
「いや、それにしても美しい。このような白い肌など見たことがございませんな」
「それを言うならこの黒髪です。黒っぽい髪の人間なら東のマグディ・ハンにも居ると聞くが、このように艶のある漆黒の髪はそうはお目にかかれまい」
「はあ……」
 俺はうんざりするようなお世辞を聞き流して、ワインを一口飲んだ。と言っても、蜂蜜と香草で甘く割ったジュースみたいなものだけど。ジャハーンはにやにやしながら俺の口にイチジクを押し込むと、貴族達に向かって言った。
「どうやら我が妃は少し疲れたらしい。潤は自分の美しさに自覚がない故、賛美に慣れて居らんのだ」
「なんと、このように美しくあらせられるのに自覚がないとは。罪なことですな」
「だからこその神子なのでしょう。俗世とは隔たれた清らかな心をお持ちなのです」
 ジャハーンはざわめく貴族達を尻目に、俺を抱いて立ち上がった。俺はこそっとジャハーンの耳に問い掛ける。
「何処に行くんだ? まだ宴は終わってないんだろ?」
「宴は夜を徹して行われる。花嫁と花婿が最後まで居る必要はない。だが確かにまだ退出するには早すぎるからな、お前は隣の部屋に居るといい」
「隣って、あのカーテンの向こう?」
「そうだ。そこには女しか居らぬからな。後宮の女どもにはきつく言い渡してあるから、アマシスの時のようなことは起こるまい。これ以上お前をここに置いておくのは心配だ」
「心配って、何が心配なんだよ? 王宮の中だろうが」
「お前を見せびらかすのは心地よいが、他の男どもが潤の美しさに中てられて妙な気を起こしては困る」
 妙な気って、どんな気だよ。
「まだそんなこと言ってんの? あんたじゃあるまいし、別に皆俺のことなんて何とも思わないって」
「お前は解っておらんのだ。まして今日のお前は化粧を施して、清らかな上どこか妖艶にすら見える」
「ヨーエンって……」
「見ているだけでお前を抱きたくてたまらなくなる、ということだ」
「ば、馬鹿! こんなとこで盛ってんじゃないッ」
「やれやれ、本当のことを言っただけで馬鹿者扱いされるとは、たまらんな」
 控えめなざわめきに満たされていた女達の宴は、ジャハーンと俺が入っていくとピタリと静まった。上座に座っていた赤っぽい髪の女性が席を立つと、脇に跪く。
「王、そして神子。この度はおめでとうございます」
 ジャハーンは頷くと、そこへ俺をそっと座らせた。
「え、いいの? この人の席じゃないの?」
「良いのです、神子。上座には王妃である貴方様がお掛けになるのが道理」
 女達は皆一斉に立ち上がると、それぞれ一つずつ席をずらし始めた。赤髪の女性は俺の隣の席に座った。
「潤はしばらくここに置く。後は頼むぞ、ムテムイア」
「おまかせくださいませ」
 ジャハーンは俺の頭のてっぺんにキスをすると、カーテンを掻き分けて元の場所へ戻っていった。残された俺はというと、他の女達やちらほら見える子供達の好奇の視線に晒されて、何となく居心地が悪いような気まずい気分だった。
「あ、あの……」
「何か?」
 ムテムイアという女性が、にっこりと笑った。うーん、この人よく見るとすごい美人だよな。目鼻立ちがくっきりしていて、エキゾチックな美女って感じだ。仕草も品があって色っぽいし。
「ムテムイアさんは、ジャハーンの、その……」
「まあ、わたくしなど呼び捨てになさいませ。貴方様は王妃なのですから、何も気遣いは無用でございますよ。……ここに居りますのは、皆王の側仕えと、その王子王女達でございます」
「側仕えって、アマシスみたいな?」
「アマシス! ああ、彼のことは聞き及んでおります。無礼な振る舞いを致したとか。あの者にも困ったことです。自分の分もわきまえず……けして悪い人間ではないのですが」
 ムテムイアが眉をひそめた。そんな仕草も色っぽくて、俺はボーッと見とれてしまった。仕方がないだろ、俺だって男だ。今はジャハーンとあんなことやこんなことをしちゃってるけど、もともとはまっとうな若い雄なんだッ。
 あまりにも俺がボーッとしているのを不審に思ったのか、ムテムイアが首を傾げた。
「神子? どうかなさいまして?」
「えっ……い、いや、きれいだなぁと思って」
「は? …………まあ」
 ムテムイアをはじめ、女達がどっと笑った。俺、何かまずいこと言ったか?
「神子のような美しい方にそんなことを言われるとは、恐れ多いことですわ。ですが、光栄でございます」
 うーん、この人もそんなこと言うわけだ。それともここの国の美的感覚では、俺が美少年に見えるんだろうか?
 その時、カーテンの隙間から、アマシスがするっと身体を滑り込ませてきた。女達はまた一斉に口を噤んだが、さっきと違うのは、明らかな悪意で以ってひそひそと囁きを交わし始めたことだった。
「アマシス殿、後宮を自ら出て行かれた方が、ここに何の用です」
「ここに足を踏み入れる資格があるのは、王と王妃のみですよ。立ち去りなさい」
 口々に発せられる非難の言葉を、フンと鼻で笑って一蹴すると、アマシスは俺の横に座った。
「僕は神子の側仕えだ。お前たちに指図される謂れはない」
「まあ! 何という不遜な態度。子のない側仕えはともかく、王の御子を生んだ私達に対して、あまりにも無礼な」
「子供を産むなら犬猫にだって出来る。肝心なのはいかに主の寵愛を頂くかということ。神子が現れた今、お前達はもう用無しじゃないか」
「ぶ、無礼な!」
「アマシス! いい加減にしろよ」
 見かねた俺がアマシスを叱ると、アマシスはチェッと舌打ちをして、不貞腐れたように俺の肩にもたれた。
「お前、来るなり喧嘩するなよ。後宮の女達のこと嫌ってるんなら来なきゃいいのに」
「そういうわけには行かないよ。この女達はね、見かけはニコニコして優しそうに見えるかもしれないけど、隙あらば潤を蹴落とそうとしている奴らばっかりだ。疑うことを知らない潤を一人でここに置いてなんかおけるもんか」
「え、そんなに怖い人達なの?」
「性格悪くなきゃ後宮なんかで生きて行けないよ。まあ、ムテムイア様は別だけど」
 アマシスがちらりと顔を上げると、ムテムイアが苦笑していた。
「変わりはないようですね、アマシス」
「お久しぶりです、ムテムイア様」
 おっ、何だ? あのアマシスがこの殊勝な態度。
「アマシス、ムテムイアって何なの?」
「潤は知らないか。ムテムイア様は、事実上後宮の主だよ。潤はほとんど後宮の母屋から出ないから、後宮の運営には関知してないだろ。彼女はジャハーン王が即位した時から、後宮を取り仕切ってるひとなんだ」
「偉い人、なんだ?」
「偉い人っていうか、まあ家柄もしっかりしてるし、賢い人だし、何より王の初めての閨の相手だからね」
 え、それって……。
「もともと王の乳母で、そのまま性の手ほどきもした人だよ。だから王も信頼してる」
 何だよそれ。
 俺は胸に暗い靄がかかるのを感じた。
 こんな人が、ジャハーンには居たわけだ?
 俺はムテムイアをじっと見つめた。
 すると彼女は俺を見つめかえして、優しく微笑してみせた。
 その笑顔はやっぱり綺麗で、俺は何だか泣きたくなったのだった。