俺は一人、寝台の上で寝返りをうった。 あれからいくらもしないうちに、ピピが迎えに来て、俺は一人で寝室へ戻されたのだった。ジャハーンはまだ帰って来ていないから、今も広間に居て宴会に参加しているのだろう。 俺は何度目かの溜息をついた。 あのムテムイアというひとの面影が、何度も瞼の裏に甦る。この複雑な気持ちが一体何なのか、自分でもよくわからなかった。 ムテムイアは本当に綺麗な人で、ジャハーンと同い年の息子が居る年にはとても見えなかった。さすがに年齢は聞けなかったけど、アマシスに言わせるとたぶん34から6歳くらいだろうということだ。この国では女性は12歳になると結婚が認められるらしいが……それにしたって、どう見ても30前にしか見えない。それに、あの物腰の落ち着きようと、何とも言えない色気といったらなかった。ジャハーンのいわば母親代わりとも言うべき人で、しかも童貞を捨てさせた相手だともいう。俺は今よりもずっと若く可愛らしい彼女と、幼さの残るジャハーンが身体を重ねている場面を想像してみた。すると、悲しいような、悔しいような、でも何処か諦めの混じった気持ちが込み上げてきて、また溜息を漏らした。嫉妬というのとは少し違うかもしれないけど、でもこの気持ちを向けているのがムテムイアに対してだけではない、というところがもっと複雑だった。俺はジャハーンの心にしっかりとした存在を残すムテムイアが疎ましくもあったし、あんなにも美しく優しく聡明な女性を独り占めにしているジャハーンが羨ましいような気もした。それに何より、つい最近現れてジャハーンと結婚した俺には、二人の固い絆に割って入っていくことは出来ないんじゃないだろうか。そう思うことが一番俺を苦しめた。ジャハーンの為にこの世界を選んだ俺だけど(たとえ他の選択肢はなかったとしても)、ジャハーンにとって俺は唯一じゃないんだ。その事実があらためて心に重く圧し掛かった。 ムテムイアとジャハーンとの間に王子が産まれているというのが、更に俺を打ちのめす。 俺が居なけりゃ、ムテムイアが王妃になってたのかなあ……でも、どっちにしろ預言で神子が王妃って決まっていたんだから、神子以外と結婚することはできないのか。それに、王になる為には先王の王妃か王女と結婚しなきゃいけないって決まりがあるんだった。つまり、最初から報われないとわかっていて、ムテムイアはジャハーンに身体を委ねたわけか。なんかそれって……切ないよな。 俺がぼんやりと天井を見つめていると、ふいに低く優しい声がした。 「どうした? 先刻から溜息ばかりついて」 ジャハーンだった。身体を洗い流した後らしく、化粧も落としてさっぱりとした格好をしている。 「ジャハーン、もう宴はいいの?」 「ああ。もう付き合いの役目は果たした。それに、花婿があまり結婚の宴に長居するものではない」 ジャハーンはゆっくりとこちらへ歩み寄ると、俺の前髪をかき上げた。 「化粧をしたお前も美しかったが、やはり素顔の方が良いな」 そう言って瞼や鼻の頭にキスを落としてくる。 「……嘘ばっかり。俺のどこがうつくしーんだよ」 俺がぼそっと呟くと、ジャハーンがおかしそうに笑った。 「そういうところも、美しい。お前は自分の魅力を知らんのだ」 「でも、後宮には俺よりずっと綺麗な人達が居たじゃんか。しかも男の俺と違って、ちゃんと女だし」 「何を言っている? 他の女達とは比べようがない。お前が男であろうと女であろうと、私の愛しい潤であるということに変わりはない」 「俺が、神子じゃなかったとしても?」 「お前は神子だ。でなければ、私が愛するわけがない」 「神子じゃなかったら愛さなかったってこと?」 「そうではない。お前を愛している。だから、お前は神子なのだ」 「何だよそれ」 俺が枕に顔を埋めると、ジャハーンが宥めるように俺のうなじに優しいキスをした。 「私はお前をずっと待ち焦がれていたのだぞ。その私が、神子を見間違う筈があるまい?私はまだ姿を見ぬうちからお前を愛していたのだから」 でもそれって、ただの思い込みじゃないか。 「でも、たくさん側仕え作ったじゃないか」 「仕方ない。王の務めだ。だがお前が現れた今となっては、もうこれ以上側仕えに相手をさせることはない」 「ムテムイアにも?」 「うん? ……なんだ潤、お前妬いていたのか?」 「ば、馬鹿野郎、そんなわけないだろ」 俺はジャハーンに枕を投げつけると、シーツにくるまった。 「こら、潤、拗ねるのではない。こっちを向け」 「うるさい、俺はもう寝る!」 「何を言う。お前、結婚初夜に花婿に独り寝をさせる気か?」 「うるさいうるさいうるさいッ!」 「潤、おい、潤。何か気に障ったのなら許せ。ほら、こっちを向け」 「許さない。ぜーったいに許さない」 「潤」 「……ちゃんと約束しなきゃ、許さない」 「何をだ?」 「……だけだって」 「うん? 何だと?」 「だから!……俺だけだって! ずっと、俺だけだって、他の奴はもう相手にしないって約束しないと、許さないって言ったんだよ! わかったか!」 「なんだ、そんなことか」 呆れたように言ってジャハーンが笑い出した。俺はシーツから顔を出して、ぎろっと睨んでやった。 「そんなことって、何だよ! 言っとくけどな、約束破ったら承知しないぞ」 「わかっている。それに、そんなことは今までに何度も言ったではないか。お前だけだと」 「そんなの、寝台の上でだけなら何とでも言えるだろッ」 「やれやれ、頼まれたってお前以外の者に目が行く筈もないのだが。わかった。太陽神と水神、そして我が命に賭けて誓おう。生涯お前だけを愛すと」 「べ、別に命を賭けなくたっていいけど」 「誓えと言ったのはお前だろうが」 「約束しろって言ったんだよ。約束破ったら、針千本飲め!命は勘弁してやる」 「針を千本飲んだら死にそうだが。だが、わかった。約束しよう。だから、良いな?お前に触れても」 「……し、仕方がないから、許してやる」 我ながらかわいくない言い方だよな。そう思うんだけど、口を開けばそんな言葉しか出てこない自分がいる。それでジャハーンはというと、にこにこして俺を見つめている。だから、これはこれでいいのかなって最近は思うんだけど。 「潤、やっと私の妃になったな」 ジャハーンが両手で俺の顔を包み込んで、舌で丹念に俺の唇を舐める。 「ジャ、ハーン……俺」 「良い、何も言うな。お前が未だに戸惑っているのはわかっている。だが、お前は私を選んでくれた。そうだろう?」 「……うん」 「お前は私を好きだと言ってくれた。それだけで私は何でもできる」 「俺……だって、俺好きだもん、ジャハーンのことが。俺、なんでお前のこと好きになったのかなあ?」 「それは私がお前の伴侶となるべき王だからだ」 「違うよ、そんなこと理由にならない」 俺は裸に剥かれた体を捩って、ジャハーンの愛撫から逃れた。 「そんな他人に決められたこと、好きだっていう理由にならない」 「他人ではない、神だ」 「同じことだよ。俺は、誰にも気持ちを縛られない。俺は自分の意思で、お前のこと好きになったんだ」 それだけは譲れなかった。俺には俺なりのプライドっていうか、信念ってものがあるんだ。 「潤、どうした? 今夜は少しおかしいぞ」 「おかしくなんかない」 俺は言い捨てて、ジャハーンの腹の上に馬乗りになった。 「俺だって男だからな。言う時は言うんだ。そんで、やる時はやる」 「やる?」 「そうだ、やるんだ」 俺はジャハーンの唇にむちゅっとキスをした。温かくて、張りがあって、厚みのあるその唇。俺はその唇を舌で割って、口中を描きまわしてやった。だけどすぐにジャハーンの舌にさらわれて、主導権を奪われてしまう。 「んっ……はあっ、だ、駄目だ! 今日は、俺がするんだから」 「何を?」 耳たぶを甘噛みしているジャハーンに、俺の男らしさを思い知らせてやろうと思って、俺はおもむろにジャハーンの裸の腰の中心を掴んだ。驚くジャハーンを無視して、そのままそこに口を寄せる。 「じゅ、潤っ!?」 焦ったようなジャハーンの声が少しかわいかった。 俺はそのびっくりするくらい立派なものをペロリと舐めて、ふいに違和感を感じた。……毛が、ない。 あー、そうだった。こいつも剃ったんだった。 硬くて大きくて赤黒い、見るからにたくましいソレに毛がないなんて、はっきり言ってものすごい光景だった。異常だ。変態チックだ。でも……これはこれで、なんかカワイイ……ような……あー、俺って終わってるよな。ほんと骨の髄からホモになっちゃったみたいだ。でも毛がないせいか、俺は初めての行為だというのにたいした抵抗もなく、ジャハーンのそれを口に頬張ることができた。 「潤、何をしている!? お前がそんなことをする必要はない!」 ジャハーンが怒ったような声を出して、俺をそこから引き剥がした。えっ?と思ってジャハーンを見ると、顔が真っ赤になっていた。 「なんで止めるんだよ? 嫌だった?」 「嫌だとか嫌でないとか、そういう問題ではない。お前はそんなことをしなくても良いのだ」 「だってジャハーンはいつもやってるじゃん」 「私はいいのだ。やりたくてやっているのだから」 「俺だってやりたいッ」 「じゅ、潤、お前、お前にそんなことをされては、私はいくらも保たん。いや、それどころか今のだけでも……。と、とにかくお前はそんなことをしてはならん! 良いな」 「だって、他の人達にはやらせてたんだろ? 何で俺は駄目なんだよ!」 「他の人達だと?」 「そうだよ。他の……ムテムイア、とか」 ジャハーンが目を丸くしたかと思うと、いかにもおかしそうに笑い出した。 「やっぱりお前、嫉妬しているではないか」 「なっ、何言ってんだよ馬鹿野郎。そんなんじゃない、いいか、俺はなあ……」 「さっきからおかしいと思っていたら、女達に何か言われたのか? 心配せずとも、私の心は女を知る前からずっとお前一人のものだ。そのことは女達もみなわかっている。ムテムイアを側仕えに迎えたのは、あれならば後宮でお前をうまく補佐できると思ったからだ」 「そんなの、別に気にしてないって言ってるだろ」 「そうか?」 にやにやしながら、ジャハーンが俺に頬擦りしてきた。 「暑いっ。離れろ」 「本当に離れて良いのか?」 「えっ……」 ふいに離れかかったぬくもりに、驚いて顔を上げると、ジャハーンが爆笑しながら俺を強く抱きしめた。 「かわいすぎるぞ、お前」 「な、なんだよ。何がおかしいんだよっ」 「おかしいのではない。私は、嬉しいのだ」 ジャハーンが笑いながら唇を寄せて来たので、俺はそれを避けようと思ったけど、こいつがあんまり優しい目をしているもんだからついそれに見とれてしまって動けなかった。 その後はもう、俺はいつものようにドロドロに溶かされてしまう。泣きたいくらいの優しさと、強引さと、激しさに、何も考えられなくなってしまう。 何度かイカされた後、その頬を撫でる大きな手に、いつもと違う指輪の感触を感じながら、俺は眠りに落ちていった。意識が完全にブラックアウトする直前、俺は近いうちにムテムイアと話をしてみようと思った。 |