その夜、俺は湯殿の中で、ジャハーンの広い背中を眺めながら、できるだけさり気なさを装って聞いた。 「そういえばさ、ムテムイアの息子って知ってる?」 柔らかい香気の向こうで、ジャハーンが身体を擦る手を止めて振り返った。 「ウセルのことか? 当然知っている。私の息子だからな」 「え? あ、ううん、そっちじゃなくて」 ジャハーンはボディソープ代わりの泥をザッと洗い流した。 「ラモーゼの息子の方か」 「ラモーゼって……」 「ムテムイアの前の夫の名だ」 「ふうん……」 俺は湯船の中で手を合わせて、ビュッと水を飛ばした。 「会ったことある?」 「ラモーゼは近衛隊の隊長だったからな、何度か顔を合わせたことはある」 「えっ」 近衛隊の隊長っていったら重臣じゃないか。ムテムイアの旦那さんってそんなに偉い人だったんだ。 「リシク……ラモーゼの息子は、幼少の頃王宮に暮らしていた」 「えっそうなの?覚えてる?」 「いや……あまり記憶はないな」 ジャハーンが濡れた前髪をかき上げた。その下の黄金色の目が、探るように俺を見下ろす。 「どうした? 何故そんなことを聞く」 雫が額を伝い落ちて鬱陶しそうに目を細める、その仕草に妙にドキリとして、俺は水面に口を埋めた。ジャハーンと結婚式を挙げて正式な夫婦となってからというもの、俺はこんな風に感じることが時々ある。ふとした瞬間、ジャハーンが別人のように見えて、落ち着かない気持ちになるんだ。何ていうか、大人の男っていうか……初めて会ったときからこいつは堂々としていたけど、結婚してからというもの更に落ち着きを増して、貫禄みたいなものが出てきた。 「おい、何だ。そんなにジロジロ見て」 ジャハーンがおどけたように眉を上げた。 「ジャハーンってさ、何か顔変わったよな」 「うん?」 手の平で顔を擦りながら、不思議そうな顔をする。 「そうか? 自分ではわからんが」 「うん……なんか」 なんか、格好良くなった気がする。 なんてことは口が裂けても言えないけどな! 心の中で叫んで顔を赤くする俺を見て、ジャハーンは湯船の中に入って来て俺を捕まえようとした。俺は何だか恥ずかしくて、その腕から逃げる。 「何故逃げる。おい、潤、何だ、俺はどう変わった?」 「あんた、あんた変な顔になった!」 「変な顔? 変な顔とは、どういう顔だ」 ジャハーンは俺の強がりなんかお見通しらしく、おかしくてたまらないというようにクスクス笑っている。 「変な顔って言ったら、変な顔だよっ」 「そうか、それは困ったな」 ジャハーンのたくましい褐色の腕がついに俺を捕らえて、優しく包み込んだ。 「潤、変な顔の私は嫌いか?」 「別に……」 「なら、好きか?」 「な、何言ってんだよッ」 「嫌いなのか」 「そんなこと言ってないだろうが! 極端なんだよあんたは。す、すき…だよッ。これでいいだろ!?」 ジャハーンが俺の頬をギュッと両手ではさんだ。 「ああ、それでいい」 ちくしょうっ、何か悔しい。何か俺って完璧こいつになめられてるよな。 まあ、そんな自分も悪くないと思ってはいるけどさ。 「それで、いったい何故、リシクの話など持ち出してきたのだ?」 はっ、そうだった。 「あ、あのさ、リシクは、ムテムイアがジャハーンの側仕えになったこと知らないのか?」 「うん? ……ムテムイアがそう言ったのか?」 「え、いや、違うけどさ」 「ああ、だろうな。彼女が自分から話す筈がない」 妙にきっぱりと断言するな、と思ってジッと見上げると、ジャハーンが俺の頬をくすぐった。 「一体何処からそんな話を仕入れて来たんだ?」 「え……その、まあ、色々と。それよりさ、どうなんだよ」 「ああ、お前の言うとおりだ。リシクは、ムテムイアは死んだと思っているだろう」 「どうして、どうしてそんなことを?嘘つくことないじゃんか」 「だが、ムテムイアの望んだことだ」 「ムテムイアが……そんな、どうして。だって、ムテムイアがジャハーンの側仕えになったって、親子は親子なのに。旦那さんとは他人になっちゃっても、血が繋がってる親子は他人にはならないのに」 「潤、落ち着け」 ジャハーンが俺の髪を後ろに撫で付けた。 「彼女には彼女の考えがあってのことだろう。本当の理由を知らない我々が、とやかく言うことではない」 「それはそうだけど! じゃあ、ジャハーンは気にならないのか? ムテムイアを自分の側仕えにした時、ためらわなかったの? だって親子を引き裂くことになるんだよ?」 俺が食って掛かると、ジャハーンは苦笑した。 「何故そんなにムテムイアのことを気にするのだ? お前のその様子は只事ではないな」 「なんでって、そんなのわかんないよ。でも、気になるんだよ。放って置けない」 「もしやと思うが、お前、ムテムイアに惚れているのではあるまいな」 「はあ?」 俺は面食らってジャハーンの顔をまじまじと見つめた。ジャハーンは至って真面目な顔をしている。 「もしそうならば、私は彼女を殺さねばならん」 「な、なんで」 「お前は私だけのものだからだ」 「な、何だよそれ。俺はものじゃない」 「だが、誓っただろう。私だけを愛すと」 「そうだけど、だからってなんで殺すんだよ」 「例え誰であろうと、お前の心が他に移るのは許さん」 「じゃあ、もし俺が浮気したら、俺のこと殺すのか?」 「潤! 何を言っている」 ジャハーンが俺をぎゅっと抱きしめた。 「私がお前を殺すだと? そんなことがあるわけがないだろう。お前を傷つけるくらいなら私が死ぬ」 「ジャハーン……」 俺はちょっと胸にジーンと来てしまって、ジャハーンの背に腕を回した。 「馬鹿、馬鹿野郎。俺は、あんたが好きだって言っただろ」 「じゅ、潤」 「変な心配ばっかりしてんじゃねーよ」 「ああ、そうだな。すまなかった」 ジャハーンは何度も何度も俺の唇を求めて来た。こいつって、初めて会ったときから自信満々で、怖いものなんか何もないって顔してるくせに、どうして俺のことではこんなに不安がってばかりいるんだろう。 でも、俺もジャハーンのことに関しては同じだから、おあいこかな。 「それにしても、俺の浮気は許さないとか言ってるけど、アマシスのことはいいわけ? あいつ一応俺の側仕えじゃん」 「あれは、違うだろうが。お前が同情であいつを側仕えに召し上げたのはわかっている。だがムテムイアのことは、お前は同情だけで気にかけているわけではない……違うか?」 ドキッ。 う、うーん、鋭くていらっしゃることで。 俺が一瞬黙り込んだのをじっと見つめながら、ジャハーンはするっと俺の後ろに手を伸ばすと、そこを指でほぐし始めた。 「あ、ちょ、ちょっと……」 グイグイ広げられて、生温いお湯が中に入り込んでくる。その感触がたまらなく恥ずかしくて身体を捩ったけど、ジャハーンの手はガッシリと俺の腰を掴んだままびくともしない。 こ、こいつ、やる気か? 「ちょっと、待てって」 「嫌だ」 「こ、ここでやることないだろ。せめて寝室とかでさ」 「うるさい、お前は私の嫁だぞ、嫁を抱いて何が悪い」 あ、やばいかも。 なんかスイッチ入っちゃったみたいだ。 まだきちんと慣らされていないのに、ジャハーンはギンギンに硬くなったそれを俺の尻の間に押し付けて来た。 やっぱり湯船の中だからだろうか、そのままグイッと捻じ込むように貫かれても、俺のそこはいつもよりずっと柔らかくジャハーンを受け入れた。 だけどやっぱりその瞬間というのは、少なからず痛みと衝撃があるわけで。 「あああああッ!」 「潤、潤、許さんぞ、誰にも、誰にも、お前は、渡さんッ」 たまらず仰け反った俺を強く抱きしめて、ジャハーンは激しく俺を揺さぶった。動きに合わせてお湯が波立ち、湯船の淵から溢れ出る。 「潤、お前は、私の、ものだ! 良いな、潤。お前は、私の、ものだっ」 ジャハーンが俺の中の狭い壁を擦り上げると同時に、お湯が奥まで押し込まれて来る。俺はその息苦しさと、そしてまるで燃えているかのような熱く激しい快感に、口を開けて悶えた。 「ああっ、あっ、あっ、あああっ」 そのまま馬鹿みたいに口を開けていたから、涎がだらだら端から零れ落ちる。だけど、ものすごい勢いで揺さぶられて、口を閉じる暇なんてないんだ。涎が垂れる側からジャハーンがそれを舐めとって行くので、俺の顔は二人の唾液でべたべたになってしまった。 だけどその気持ち悪ささえも俺の興奮を掻き立てる。そのまま一気に駆け足で絶頂まで上り詰めて行きそうだった。 物理的に(?)考えたら、そんなに早く達ってしまう筈はないんだけど、そのあまりの快感に頭がぷっつんしてしまうんだろうか。気がつくと俺はいつも達かされている。その間はもうドロドロで何がなんだかわからなくて、ほんの一瞬のことのようにも思えるし、ものすごい長い間のようにも思えた。 どうしてジャハーンに抱かれるとこんなになってしまうんだろう。 俺は自分の身体がこんな風になってしまうなんて、今まで生きてきて考えたこともなかった。 激しすぎる快感は逆に苦痛として感じることもあるけれど、やっぱりそれをくれる相手がこいつだから、いいんだろうな。 もちろんこんなことは最中には考えられない。 これはいつも意識が戻ってから、まだ痺れの残る頭で考えることだ。 そして今、俺はまた真っ白い頂点へと放り投げられるのだった。 目を覚ますといつものごとく、空には黄色い太陽が輝いていた。 疼きの残るだるい体を引きずりながら湯殿に行く。 何だか昨日からずっと湯殿に居るような気がするな。 そんなことを思いながら身体を洗い流し、新しい服を身にまとうと、俺は今日もまたムテムイアのもとへ足を運んだ。 昨日の今日だというのに、我ながら懲りてないなというか、ジャハーンが知ったら何て言うかなとは思ったけれど、俺も男だ。自分の信念は曲げられない。 どうしても、ムテムイアにリシクとのことを聞き出さなければ気がすまない。 他人の家庭の事情に口をはさむのは、自分でも悪趣味だと思うけれど、どうしても釈然としない思いがあってそのまま見過ごすことなんてできないんだ。 |