俺は、寝台の上でジッと宙を見つめていた。
 ムテムイアの話した内容が、何度も何度も繰り返し頭の中に甦ってきては、俺をやるせない思いにさせた。
 何か俺にできることはないだろうか。
 そう考えて、すぐに、何もあるわけがないと頭を振る。
 でも、何かせずには居られない。
 体中を焦燥感が駆け巡り、居ても立ってもいられなかった。
 俺がゴロリと寝返りを打った時、ピピが姿を見せた。
「神子、今日の神殿視察のことですが……あ、どうなさったんですか? 体調が悪いのですか?」
 真昼間から寝台の上でゴロついてる俺を不審に思ったのか、心配気に顔を曇らせる。
「ううん、そういうわけじゃないんだけど」
「そうですか? お顔の色は悪くありませんが……でも、もしご気分が優れないんでしたら、今日はお部屋でお休みになった方がいいと思います。王も心配されるでしょうし……」
「大丈夫だって。ジャハーンには、言わなくていいから」
「え、で、でも……」
「いいから。それより、神殿視察って、セプデトの神殿?」
「はい、そうです。急きょ神殿に神子の部屋を作ることになり、是非ご意見を伺いたいとポティノス殿がおっしゃっていましたから……でも、急ぐことではありませんし、今日はやめておきましょうか?」
「いいよ、行くよ」
 俺はムクリと起き上がった。ピピはまだ心配そうな顔をしている。
「神子、どうか無理はしないでください。近頃何だかお元気がないみたいですし、お疲れなのでは?」
「ううん、本当に、何でもないんだ。心配してくれてありがとな、ピピ。でも、どうせここに居たってやることないし、行くよ」
「……そうですか、ではそのように致します」
 ピピはまだ心配そうにしながら、部屋を出て行った。
 正直、今のこの心理状態でリシクに会うのはつらい気もする。でも、何もすることがないまま、ここでこうしてゴロゴロしていても、余計につまらないことを考えてしまうだけだ。だったら、身体を動かした方がずっといい。

 神殿建設現場は、相変わらず賑やかだった。
 今日も朝から暑いのに、もうもうと砂埃の立つ中、みんな汗を流して活き活きと働いている。
 こういうのを見ると、自分の朝から晩まで暇な生活に後ろめたさを感じる。俺って、ジャハーンを待って一日を潰してるだけだもんなあ。こうして視察に来ることが、唯一できる仕事だなんて、ちょっと男として情けないよな。
「これはこれは王妃様! ようこそお越しくださいました」
 ポティノスが豊かな髭をふさふさいわせながら歩いて来た。本来は白い筈のその見事な髭も、砂埃を吸って茶色く変色している。俺が以前そのことを指摘すると、彼はワッハッハと笑ったのだった。「いやいや、この国の風土に長い髭は禁物ですな。ですが、長年大切に伸ばして来たこれを切るのも忍びなくて、未練がましくこうして垂らしておるのですよ。しかしこれにも良い所がひとつある。机の上が汚れている時、これでサッと払うことができますからな。いやなに、どうせ汚れておるのですから、少しくらい余計に埃を吸ったところで変わらんでしょう」……まったく、ひょうきんな爺さんである。
「お暑い中、ご足労頂きありがとうございます、王妃様。今冷たいお茶をお持ち致します」
 ポティノスの陽気な声とはまったく正反対の、冷静な声がした。リシクだった。
「あ、だ、大丈夫。気にしないでいいから」
「いやいや、この暑さです、水分を取った方がよろしい。それに王妃様にかこつけて、私達もおおっぴらにさぼれるのですから、こんなにありがたいことはない」
「何を言っているんです。仕事のことしか頭にないのはどなたですか」
「おお言うたなリシク。その言葉、そっくりそのまま返してやるわい」
 外見も中身もまったく正反対の二人は、何だか凸凹コンビって感じで笑えた。漫才を見てるみたいだ。
 クスクス笑う俺に甘くて冷たいお茶をくれながら、リシクが不思議そうな顔をする。
「王妃様、いかがなさいましたか?」
「う、ううん……何でもない。ところで、なんか俺の部屋を作るって聞いたんだけど」
「はい、そうです。これをご覧下さい」
 いそいそとリシクが図面を広げた。この前見せられたものとは微妙に違っている。新しく書き直したんだろうか。
「正確には、新しく作るのではなくて位置を変更しただけなのですが。以前は北に位置していましたが、やはり南の方が良いのではないかと思いまして」
 北と南って……方角うんぬんのことは、俺にはよくわからないけど……別にどっちだっていいような気がするけどなあ。日当たりは南の方が良さそうだけど、気候のことを考えたら北でもいいくらいだろうし。
「実は、これはリシクの発案でしてな。この前王妃様に御目文字して、どうしても変更したいと言って来まして、この男にしては珍しいことです」
「え、そうなの?」
「ポティノス様!そんなこと、わざわざおっしゃることではないでしょう」
「何だ、北の夜空は星が少ないからおかわいそうだ、賑やかな南の空の方が王妃様も寂しくありますまいと、熱心に語ってきたのはお前じゃあないか。何も王妃様が実際に住むわけではないというのに」
「わ、私は……私はただ、王妃様が寂しそうに見えたので、それで……」
 ドキッとした。俺、寂しそうに見えるのか? そんなこと、言われたことがないけど。
「俺、寂しくなんかないよ」
 ボソリと呟くと、リシクが慌てたように両手を振った。
「あ、いえ、お気に触ったのでしたら、元に戻します。出過ぎたことを致しました」
「別に、それはかまわないけど……どうして、寂しそうなんて思ったの?」
「それは……以前、私に母のことをお尋ねになった折に、とても悲しそうなお顔をされましたのが、心に残っておりましたので……考えてみれば、王妃様は御家族と離れ離れになった御身。王が居られるとはいえ、やはり寂しくていらっしゃるのではないかと思いまして」
 俺は一瞬息を飲んだ。
 ムテムイアと、同じことを言ってる。
 そう思うと、色んな思いが込み上げてきて、たまらなかった。
「王妃様?」
 ポティノスとリシクが、驚いたように声を張り上げた。
「ど、どうなさったのですか?」
 リシクなんて、かわいそうなくらいうろたえている。どうしたんだろう……そう思った時、頬を温かいものが伝う感触を感じ、ああなるほどと納得した。
 俺は、泣いていた。
 近頃どうも涙腺が弱くて困る。どうしてこんなことで泣いてしまうんだろう。
 恥ずかしくて、俺は手でゴシゴシと目を擦った。
「ごめん、何でもないんだ。目にゴミが入ったみたい」
「それは一大事です。医師を呼んで参りましょう」
 そう言うと、止める間もなく、ポティノスが出て行ってしまった。
 二人残された俺とリシクは、互いに顔を見合わせた。
 途方に暮れたようなリシクの顔がおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。すると、リシクは一瞬奇妙な顔をして、それからホッとしたように微笑んだ。ムテムイアにそっくりの笑顔で。
「ごめん、泣いたりして。俺って情けないな。これでも男かって感じだよな」
「いいえ、そのようなことは」
「いいんだって。自分でもほんとそう思うからさ」
 俺は、さっきもらったお茶を一口飲んだ。砂糖水のような甘さのそれは、今はもうすっかり口になじんでしまった。
 俺はふうっと溜息を吐くと、リシクを見上げた。
「リシク、座ったら?」
「いえ、私はこのままで」
「いいから、座れって。……一度、あんたとはゆっくり話してみたかったんだ」
「はあ……では、失礼致します」
 リシクはおそるおそるといった感じで、俺の向かいに座った。
「なあ、リシクってさ、どうしてこの仕事につこうと思ったの?」
「え?」
「だってさ、お父さんは親衛隊の隊長だったんだろ? いわば軍人だよな。その息子が、建築家に……って、別におかしくはないけど、この国じゃ珍しいよな。たいていみんな親の職業を継ぐんじゃないの?」
「あ、ええ……そうですね、私も子供の頃は、父に武術を叩き込まれたものですが……ご存知の通り、私は両親を早くに亡くし、親戚の家に引き取られましたので……その家が、労働者の村の近くにあったのです。子供の目にも、神殿ができあがっていく様はとても素晴らしく思えました。神殿が、人ならぬ神を祀る所だというのも良いと思いました」
「へえ、どうして?」
「当時は、両親が居ないことで色々と嫌な思いをすることが多かったので……親戚の対応も、あまり温かいものとは言えませんでしたし、神にすがる気持ちが強かったのかもしれません。それに、神殿は両親の居る冥界に繋がっているような気がして」
「……お父さんとお母さんが死んで、悲しかったんだね」
「そうですね。悲しかったし、どうして自分一人を置いていったんだろうと、うらめしく思うこともありました」
「今でも、そう思う?」
「いいえ、今では、自分を産んでくれたことを感謝しています。こんなにも良い仕事に就くことができ、そして……大切な人にも巡り合うことができました。あの、私……増水期が終わったら、結婚するんです。美人ではありませんが、とても心の優しい人で……この世にこうして産まれていなければ、彼女に出会うこともなかったでしょう。だから、父の、母の子供で良かったと、心からそう思っています」
「本当に、そう思ってる?」
 俺の声色が普通じゃないのに気がついたんだろうか。リシクは俺をひたと見つめて、真面目な顔で頷いた。
「はい、心からそう思っています」
 ……もしかして、もしかしてリシクは知っているんだろうか。ムテムイアが生きていることを。知っているけど、知らないふりをしているんだろうか。
 そう思ったけど、何の根拠もないのに口に出して聞くことなんてできなかった。それに、もしわかっていて口を閉ざしているなら、敢えて俺が聞いてしまうのは無粋ってもんなんじゃないだろうか。
 俺は涙をこらえて、リシクを見つめ返した。
「あんたのお母さんも、きっとそう思ってるよ。あんたを産んで良かったって。絶対、そうだよ」
「……そうですね、そうだと良いですね」
「絶対、絶対そうだよ」
 子供みたいに言い張る俺を眩しそうな目で見つめて、リシクは笑った。
 その時、医師を連れたポティノスが戻って来た。
「お待たせいたしました、王妃様。医師を連れてまいりましたぞ」
「……俺、帰る」
「えっ? な、何かお気に障りましたか? リシクがご無礼を働いたのなら、私からもお詫びを……」
「そうじゃないよ」
 俺はポティノスを安心させる為に、にっこり笑って見せた。
「リシクは、とてもいい奴だよ。きっと、いい建築家になる……ご両親が見守っていてくださるから」
 リシクが何か言いたそうに口を開いて、そのままぎゅっときつく閉じ、ぺこりと頭を下げた。
 サラリと流れた赤褐色の髪を見て、俺は今すぐムテムイアに会わなければ、と思ったのだった。