ユクセルは部屋の出入り口に立ち尽くしたまま、こちらを見ていた。
 俺はその表情のない彼の顔を見上げて、胃をギュッと搾られたような気がした。
 ユクセルが、怖かった。
「衛兵……捕えよ」
 ユクセルが静かに命令した途端、武装した兵士達が部屋の中に入って来て、ゼキを捕えようとした。
「ま、待てよ!」
 ゼキと兵士達の間に割り込んだが、いつの間にか側にやって来たユクセルに強く腕を引かれて、放されてしまった。
「ユ、ユクセル! あんた誤解してるよ! ゼキは何もしてないぞ!」
 そう言ってユクセルを見上げた途端、頬に強い衝撃を感じて、俺は地面に座り込んだ。
「神子!」
 ゼキが慌てたように俺を呼ぶ。
 ユクセルに殴られたんだとわかったのは、頬がようやくジンジンと痛み出した頃だった。
 情けないことに、俺はしばらく頬に手をあてたまま呆然としてしまった。
「君は、何もわかっていない」
「……え……」
「連れて行け。……刻印の仕度を整えよ」
 はっと短い返事をして、兵士達がすっかり縛り上げられたゼキを担いだ。ユクセルの言葉を聞くなり、ゼキはみるみる顔色を青冷めさせた。
「王子! お許しを! それだけは……それだけはっ!」
「何をしているっ、早く連れて行け!」
「はっ!」
「王子! お許しをっ!」
 悲痛なゼキの叫び声だけを残して、彼らは出て行った。
「お、おい……ユクセル、ゼキをどうするつもりだ? 刻印の仕度って何だ? もしかして……」
 そう言いかけた俺の声は、最後まで発することなくユクセルに遮られた。
 その唇でもって。
 ユクセルは唇を塞いだまま俺を抱き上げ、ずんずんと歩いて、寝台の上に俺の体を放り投げた。
 衝撃で俺は噎せ返った。
「君は……君は、何もわかってはいない」
 俺の両肩をきつく掴むその手は、微かに震えていた。
 俺はわけがわからず、ただ言い知れぬ恐怖を感じていた。
 ユクセルは俺の服の襟元に手を掛けると、そのまま力任せに上下に引きちぎった。
「うわあああっ!」
 ビリビリと音を立てて引き裂かれる服を目前にして、俺は悲鳴を上げた。
 そのまま体ごと引き裂かれてしまうのではないかと思った。
 ユクセルは俺の首筋に噛み付いた。
 それこそ文字通り噛み付かれて、俺は激痛に仰け反った。
「痛ぁぁあっ!」
「君が憎い……愛しく思うのと同じくらい、憎いんだッ!」
 痛みと恐怖で、一体自分が何をされているのか理解できなかった。
 でも突然体の奥に感じた、体が真っ二つに割れてしまうほどの激しい痛みに、俺は今の状況をハッキリと自覚した。
 俺は、ユクセルに犯されていた。
 愛撫のひとつもなく、優しいキスのひとつもなく、愛情のかけらもなく……ただ力のままに、体を侵略されていた。
 痛みと衝撃で、体を硬直させながら、俺は涙を流した。
 嫌だ。
 こんなのは、嫌だ。
 助けて……ジャハーン。
 俺は泣いた。
 痛い。苦しい。辛い……悲しい。
 俺が何をしたって言うんだ。
 ただこの世界に流されて、不思議な夢を見て、そしてジャハーンを愛しただけじゃないか。
 なのにどうしてこんな辛い目に合って、そしてこいつを、そしてゼキを、辛い目に合わせなくてはならないんだ。
 喉が震えた。
 強引に押し入るユクセルの楔によって、俺の局部が切れて血を流しているだろうことは容易に想像できた。
 でも体の苦痛よりも、心が痛くて死にそうだった。
 俺がこの世界に来たことは間違いだったのだろうか。
 結果としてムテムイアを死なせ、ゼキを不幸にし、ユクセルを追い詰めた。どうしてこんな風になってしまうのだろう。俺はいつも、自分のできることを精一杯やってきたつもりだった。なのに何故皆苦しむのだろう。
 涙に霞む視界の向こうで、苦渋に満ちたユクセルの顔を見た。
 彼にそんな顔をさせたくはなかった。
 たとえ見せかけだけとは言え、あんなにも優しい表情のできる彼だ。
 もし心から安らいだとしたら、どんなに温かい顔をすることだろう。
 そう思うと、本当に辛かった。
 ……だけど、だけど、ジャハーン。
 あんたの存在だけが救いだ。
 その強引な愛情が、不器用な優しさが、全身全霊で俺を求めるその情熱が、どんな時も、俺をギリギリのところでこの世界に留めるんだ。
 ジャハーンを、信じている。
 たとえどんなに汚されて傷ついてボロボロになったとしても、ジャハーンだけは失いたくない。
 あんたもそうだって、信じてもいいよな。
 俺がそう思うように、たとえどんな俺でも必要としてくれるって、そう信じていていいよな。
 頼むよ……たとえ夢でもいい。
 そうだって言ってくれ。
 その笑顔で、その通りだって言ってくれ。
 痛みと絶望で朦朧とする意識の中で、俺は必死でジャハーンの面影を追い求め、それに縋りついた。
 ムテムイア、ゼキ、ユクセル……アマシス、ピピ、カリム……ジャハーン、ジャハーン、ジャハーン!
 崩れたくない。
 堕ちたくない。
 諦めたくない。
 俺、頑張るから……だから、力をくれよ。
 もし本当に神様が居るのなら。
 俺がこの世界に来た意味があるのならば。
 俺の心が強さを保てるように……守ってくれ。
 くじけてしまわないように。ジャハーンの元に帰ることを、諦めてしまわないように。
 混乱の中で、体の奥にユクセルの熱いほとばしりを感じて、俺はついに意識を失ったのだった。