どれくらい眠っていたのだろうか。 目が覚めた時、部屋の中は少しだけ薄暗かった。 ……まだ、夕方? だとしたらそんなに時間は経っていないのか。 起き上がろうと身じろいだ途端、身体の奥に激痛が走った。 「……っ!!」 冷や汗がドッと出て、手足が冷たく痺れてくる。 ちくしょう。死にそうなくらい痛い。 ……なんだか、ものすごくみじめだ。 「気がついたかい」 「わっ!」 いきなり背筋に氷水をぶっかけられたくらい、驚いた。 振り向くと、柱の陰にユクセルが立ってこちらを見ていた。 な、こいつ、いつからそこに居たんだ? ずっと立ったまま見ていたのか? 不自然な無表情さで、ユクセルは俺に近付いてくると、そのまま俺を抱き上げた。 「痛ッ……」 痛みに顔をしかめると、その腕が一瞬ピクリとした。 だけどその無表情のまま、ユクセルは部屋を出て歩き出した。 「ちょ、ちょっと、何処に行くんだ?」 「……君にも、ゼキにも、しっかりと理解してもらわなくてはいけない」 抑揚の欠けた声は、まるでセリフを読んでいるかのようだった。 「僕に逆らうと一体どうなるのか……けして僕に逆らえない立場なのだと、その軽い頭に叩き込んであげよう」 「……」 それきりユクセルは黙り込み、俺は目の前にある彼の顔を必然的に見つめることになった。 日に焼けてはいるけれど、ジャハーンやアマシスに比べると明らかに色素の薄い肌。亜麻色のクセのない長い髪、同じ色の長いまつ毛……少し垂れ目気味の淡い紫の瞳、高い鼻、薄い唇。西洋人の顔の作りにとてもよく似ている。まるで彫刻のように整った、甘い顔立ち。 もし……こいつだったら。 俺はふと考えた。 もしこの世界に来て……ジャハーンじゃなく、こいつの所に来ていたら……俺はこいつのことを好きになっただろうか? こんなひどいことをされたって、俺はこいつのこと嫌いになれない。自分でもどうしてだろうと思う。確かにユクセルの置かれた状況には心から同情してるけど……でもそれだけじゃないんだよな。 むかつくし、何するかわかんないからすごく怖い。だけど、俺は知ってるんだ。常に冷酷であろうとするユクセルの心の奥には、隠しても隠しても、ふと顔を覗かせてしまう優しさがあるってことを。 だけどやっぱり、たとえジャハーンと出会ってなかったとしても、俺はこいつのことを「愛する」ことはできないだろうな。そういう確信めいた思いもあった。 ただでさえ男同士っていう引っ掛かりがあるし、ユクセルがあいつみたいにがむしゃらに俺を求めてくるなんて考えられないし。俺、初めのうちはジャハーンの熱意にほだされたって感じだったもんな。あそこまで求められなかったら、受け入れようなんて思わなかったかもしれない……いや、わかんないな。だってジャハーンって、すげぇんだもん。 いつだって強引で、自分の意思が通らないなんてこれっぽっちも考えていない。ものすごい自信家で、常になんていうか、光を放ってるんだ。ほんと、あいつって太陽王って名前にふさわしいよ。太陽みたいにすごい光を放ってる。暑苦しいくらい存在感があって……惹かれずにはいられない。 ジャハーン……あんたに会いたい。 涙がこぼれた。 でももう、それを恥ずかしいなんて思う余裕もなくて。 一生懸命冷静になろうとした。だけどやっぱり……ダメだ。 帰りたい。あいつの側に……帰りたいよう。 一度溢れ出した涙は止まらなくて、俺は両手で顔を覆って泣きじゃくったのだった。 抱きかかえられたまま連れてこられたのは、薄暗くて見るからに不衛生な部屋の一室だった。 部屋の置くの壁には窯があって、かなりの高温らしく部屋に入るだけでものすごい熱気を感じた。 ユクセルは俺をしっかりと抱えなおすと、窯の側にいた三人の男に命令した。 「連れて来い」 「はっ」 男の一人が、俺達が入ってきたのとは別の扉を開ける。すると、鎖で身体中を戒められたゼキと、ガリガリに痩せた女性が部屋に入ってきた。それぞれ屈強そうな男が側についている。 俺はその痩せた顔色の悪い女性の顔を見た。ゼキによく似たきれいな人だった……だけどその瞳は何処までも暗く、光がなかった。 彼女が、ゼキの妹のファトマなんだろう。 俺はどうしようもない恐怖で、身体が震え出すのを止められなかった。これから始まることを否が応にも想像してしまう。 ファトマは俺とユクセルに気がつくと、その場で土下座をした。 「殺してください! お願いです、もう殺してくださいっ!」 「ファトマ!」 ゼキが妹の名を呼んだ。 「もう良いではありませんか! 私達は必要以上に苦しみました、だからもう殺してください! 兄も、私もっ!」 その光景に、俺は思わず泣き出した。 「ユクセルっ……助けて、やってくれよ……お願いだよっ!」 だけどユクセルは無表情のままだ。 ファトマはそんな俺を、呆けたような顔で見上げた。 「守護神さま……」 「え?」 何だって? と俺が彼女の顔を見返すと、ユクセルがまた命令をした。 「始めろ」 「やめろおおおっ!」 ゼキが悲痛な声をあげた。 男達はファトマを台に押さえつけると、窯から細長い棒を取り出した。 ぞっとするくらい赤い光を放っているそれは……焼き印、だった。 男達は、ファトマの腕にそれを押し付けた。 「キャアアアアアアアアアアッ!!!」 ファトマが絶叫した。じゅう、と音がして、肉の焼ける匂いが部屋に漂った。 吐き気が込み上げた。 信じられない……そんな、そんな。 「誰が腕だと言った?」 ユクセルが冷たい声で言った。 「も、申し訳ありません、王子」 「やり直せ……顔にだ」 「!」 な、んだって? 顔? 顔に、あんなものをつけるっていうのか? 女の人の、顔に? 「やめろ! あんた何考えてるんだ!」 「うるさい! ……君もよく見ているんだ、ジュン。僕に逆らうとどうなるのか!」 「だってファトマは何もしてないじゃないか! 悪いのは俺だろ」 「だからだよ。堪えるだろう? 自分のせいで第三者が醜い罰を受けるというのは」 「……あんた」 俺は絶句した。 「始めろ」 顔を台に押し付けられても、ファトマはぴくりとも動かなかった。口から泡を吹いて、ただうつろな目をしているだけだ。 再び窯に入れられて熱された焼き印が、ゆっくりと……ファトマの頬に当てられた。 「ギャアアアアアアア!!!!」 びくびくとファトマの身体が痙攣した。 悪夢を見ているみたいだった。 俺はその場で嘔吐した。胃液のみのそれはモロにユクセルの胸元に掛かり、悪臭を放った。だけどユクセルはそれでも俺を放さなかった。 ゼキの押し殺したような嗚咽が聞こえる。 俺は何を考える間もなく、身体中を襲う冷たい痺れと吐き気に、意識を失ったのだった。 |