日課の訓練の後、俺は王宮内の「王妃の間」でポティノスとリシクと謁見をした。
 深々と礼をして俺を湛える言葉を語りだす二人を制して、俺は二人の用件を聞き、全て二人にまかせるとだけ言った。ポティノスとリシクの人柄は知っているから、俺が余計な口を出す必要はないと思ったからだ。
 でも二人は俺の言葉に偉く感激したようで、しきりと感謝の言葉を口にした。
 そこらへんの感覚が、俺にはよくわからない。
 いくら俺が神子で王妃だからと言って、こんな若いだけのガキに信頼されて嬉しいものなんだろうか。
 そう思うけど、とりあえず笑顔で「よろしくな」とだけ言っておいた。
「ええと、仕事の話はこれで済んだとして……」
 政務補佐官達が部屋を出て行ってから、俺は強ばった肩をほぐした。
「遅くなったけど……結婚おめでとう、リシク」
 リシクは恥ずかしそうに微笑むと、頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それで、これは俺からのお祝いなんだけど」
 ピピに目配せすると、心得たというように頷いて、用意してあった物を持ってきてくれた。
 最高級の亜麻の布だ。
「何がいいかわからなかったけど、これなら服でも何でも作れるしさ。それに手触りがいいから赤ちゃんができたら産着にも使えるだろ?」
「このように高価なものを私などに……もったいないことです」
 リシクは何だか恐縮しきってしまっている。
「それと、これはリシクの奥さんに……」
 俺はピピから小さな布張りのクッションを受け取ると、そこに輝く耳飾りを手にとり、リシクに差し出した。
「これは、なんと美しい……」
 黄金とペリドットでつくられたそれは、男でも見とれてしまうくらい奇麗だった。
 明るい黄緑色の輝きと繊細に施された細工が、華やかでありながら派手すぎず気品がある。
「これはね、お守りだよ」
 俺はそう言って少し微笑んだ。
 この国ではペリドットは「太陽の宝石」と呼ばれて、邪悪な魔力を打ち破る力があると信じられている。でも俺がリシクとその奥さんにあげたいのは、その力だけじゃない。
「この耳飾りは、ある人の形見なんだ……俺にとって、彼女は今でもとても大切な存在で……母であり、姉であり、友達であった人なんだ」
「そのように大切なものを、何故私に?」
 リシクは戸惑ったように俺を見上げた。
 俺は何とも答えようがなくて、軽く首を横に振った。
「さあ、どうしてだろうな……。でも、俺はこの耳飾りを手にした時から、これをリシクの奥さんになる人にあげようって思ったんだ。いや、あげなきゃいけないんだって。だから、リシクもこれをもらってくれないと困る」
 リシクの顔が少しこわばったのを、ポティノスが訝しそうに見た。
 俺は慌てて、冗談めかした口調で言い足した。
「だってホラ、俺も男だしさぁ。こーいうジャラジャラしたものってあんまり好きじゃないんだよな。かといって後宮部隊の連中にあげると、ズルイだの何だの喧嘩になるし。だからあんたがもらってくれるのが一番いいんだって。なっ?」
 リシクの褐色の瞳が、俺をじっと見つめた。
 そして、ムテムイアにそっくりな笑顔を浮かべると、恭しく手を差し伸べて耳飾りを受け取った。
「ありがたく頂戴致します、王妃様。この耳飾りは我が家の家宝とし、いずれ産まれる子に伝えていきたいと思います」
「うん、そうだな」
 俺も笑った。
「もし女の子が産まれて、その子が大きくなったらあげてくれよ」
「はい。必ず……」
 俺は頷いて、気持ちを切り替える為に一つ大きく息を吐くと、ポティノスに向き直った。
「ところで、ポティノス。貴方に頼みたいことがあるんだけど……」
 するとポティノスは、悪戯っぽく目を丸くすると、これ見よがしな溜息をついて首を振った。
「何と! 王妃様ともあろうお方が、理不尽な真似をなされるものだ。リシクに宝を与えておいて、頼みごとをする相手が私とは……いやはや、何とこれは」
「ポティノス様、何と言うことをおっしゃるのです! 無礼な……」
 真面目なリシクが慌ててたしなめたが、ポティノスの暴走は止まらない。
「無礼、無礼とな! 無礼と言えばこれほどの無礼はあるまいぞ。王妃様は私を、何の報酬もなく働かせるおつもりなのだからな! これではまるで奴隷だ」
「ポティノス様! 今のお言葉、撤回めされよ!」
 リシクが眉を吊り上げてそう怒るのに、俺は思わず吹き出してしまった。
「あっはっは、あははははは」
「お、王妃様……」
「わ、悪い。だけど……プッ、くくくくく。あんたも大変だよな、リシク。この爺さんのおもりをしなきゃいけないなんてさ」
「は? え、いや、そのようなことは……」
「私は赤子ではありませんぞ」
「でも、年をとると子供に帰るって言うからなぁ」
 俺がニヤニヤしてそう言うと、ポティノスも面白そうに笑い出した。
「やれやれ、孫ほどの御歳の王妃様にそう言われては、私の立つ瀬がありませんなあ」
「あはは、認めるんだ?」
 笑いあう俺達を、リシクがきょとんとした顔で見比べている。
「わかった、わかったよ。それで、あんたは一体何が欲しいんだ? ポティノス」
「そうですなあ……」
 ポティノスは、そのふさふさとした長い白髭を手で撫ぜた。
「私も歳ですからな……年寄りはそう物欲はないものです。まあ、よろしい。王妃様の元気そうなご様子が見られて、この国がまだまだ安泰であることがわかったのですから、それを報酬として受け取ることに致しましょう」
「ポティノス、あんた……」
 俺はまた少し、クスッと笑ってしまった。
「さて、我らが王妃様の頼みごととは、一体何ですかな?」
「うん、それなんだけどさ」
 俺は軽く咳をして、椅子に座りなおした。
「建設中の神殿を案内して欲しいんだ」
「何ですと?」
 ポティノスは白い眉をあげて、リシクと顔を見合わせた。
「正確に言うと、地下の玄室に入らせてもらいたい」
「玄室に? 後宮で亡くなった、ある高貴な女性を葬ったという……あそこにですか?」
「そうだよ」
「しかし……一体何故……」
「ただ、お墓参りに行きたいだけだよ。でも、ジャハーンは許してくれないだろうからさ」
「それはそうでしょうとも。いくらしっかりした土台から作っているとは言え、まだ建設中なのですからな。どんな危険がないとも言い切れません……王妃様のお頼みとて、それは……」
「ほんの少しでいいんだ」
 俺はすがるようにポティノスを見つめた。
「彼女に色々聞いて欲しいことがあるんだ。自分ひとりでは抱えきれない、色んなことを……ただ、彼女に聞いて欲しいんだ」
 答えなんていらない。答えが出る問題でもないと思うから。
 たが、この心の中のモヤモヤとした形のない不安を、ムテムイアの墓の前で口に出してしまいたかった。
 リシクもポティノスも、困り果てたような顔をして色々考え込んでいたが、やがてリシクが思い切ったように顔をあげた。
「わかりました、王妃様」
「リシク!?」
「私が全責任を持って、王妃様を神殿へお連れ致します」
「何を言っておる!お前の責任など、何の力にもならぬだろうに」
「しかし、ポティノス様。それでは貴方は、王妃様のお頼みを退けるとおっしゃるのですか? いつも明るくほがらかな王妃様がこんなにも悩んでいらして、他でもない貴方にすがっていらっしゃるというのに……」
「話をすり替えるでない。私が言っておるのはそういう問題では」
「神殿の作りの頑健さは、誰よりも私が一番存じております。万一何かあったとしても、私がこの命に替えて王妃様をお守り致します」
「……お前という男は」
 ポティノスは大きく溜息をついて、首を左右に振った。
「やれやれ。若さというものは、何よりも貴重であると同時に、恐ろしいものよ……。私のような老いぼれには抗えんわ」
「じゃあ、ポティノス」
「……致し方ありますまい。神子たる王妃様のお頼みを聞かぬとあらば、来世で復活できぬでしょうからなぁ」
「ありがとう! ポティノス」
 俺はその場で飛び上がらんばかりに喜んだ。
「ありがとう。リシク」
 リシクはただ微笑んで、頭を下げた。
 俺はその赤褐色の頭を見つめて、今は亡き優しい彼女の面影に想いを馳せたのだった。