神殿の内部に足を踏み入れた時、俺は背筋に何かが走るのを感じた。
 まだ建設中とはいえ、巨大なその建造物は、息を飲む程の迫力で以って俺を圧倒する。人間が三人で手を伸ばしてやっと囲めるくらいの太い柱。はるか頭上にある天井。長々と続く廊下、段差のきつい階段、広々とした祈りの間。
 人々の信仰心――崇拝と畏敬の念が、乾いた土や石によって形作られたその全てに埋め込まれているような気がする。
 ここは、神を湛える家なんだ。
 完成していないからこそ、より生々しい存在感が伝わってくるような気がした。
「王妃様? どうかなさいましたか?」
 訝しげなリシクの声に、俺はハッとして我に返った。
「あ、ううん……ただ、スゴイなぁと思って」
 なんとも能のない言葉だったが、リシクは誇らしげに頷いた。
「ここは、王国の技術に加えて、かの大国エラスの高度な技術で以って建設されています。完成すれば、かつてないほど荘厳で偉大な神殿となることでしょう」
「うん……そうだな」
「この階段は、エラスの様式で造ってあります。王国の様式よりも段差が緩やかで、幅が広いのが特徴です。しかし全ての階段がきっちりと東西南北に向かって降りていくのは……」
 リシクが説明してくれるのに頷いてはいたが、そのほとんどが俺の耳を右から左に抜けていった。
 ここで、ムテムイアは眠っているのか。
 そう思うと胸が熱くなった。
「せっかくですから“王妃の部屋”をご覧になりますか?」
 リシクがにこやかにそう訊いてくれたが、俺は首を横に振った。
 観光気分であちこち見て回るような、そんな心境ではなかった。
「いや……それはまた今度にするよ。それより……」
「“彼女”の墓ですね?」
「うん」
「わかりました。それでは、ご案内致しましょう」
 リシクが目配せをすると、数人の護衛達が頷き、神殿の奥へと歩き始めた。
 神殿のちょうど真西……太陽が沈むその方角に、ひとつの神像が立っていた。
 静かな瞳をした、気品ある女神の像だった。
「この像は?」
「これは冥界の神の妻の像です。冥界の神は、もとは太陽神の後継者として現世に暮らしていました。ある日兄弟同士の諍いが原因で殺されましたが、その妻が行った儀式により現世に復活しました。しかし完全には復活できなかった為、冥界に残りそこを統治する道を選んだのです」
「その妻の像が、どうしてここに?」
「冥界の神の妻は、再生復活の象徴的存在でもあります。あらゆる裏切り、悲しみ、絶望を乗り越える力を持った女性でもあります。ですから死者の冥界での再生復活、そして死後の理想郷への到達を祈って、しばしば高貴な人物の墓に建てられるのです」
「それじゃあ、ここがムテ……彼女の墓ってことか?」
「はい。この下に彼女の玄室があります。降りて行かれますか?」
「降りられるの?」
「像を動かせば」
「じゃあ、降りていきたい」
「かしこまりました」
 リシクが護衛達に指示すると、彼らはその像の周りに集まって来た。
 彼らによって動かされた、見かけよりもかなり重いらしい神像の下には、小さな階段が隠されていた。
「うわ……」
 なんか、インディジョーンズみたいだ。
 近付いて見ると、それは人一人がやっと通れるくらいの、かなり急な階段だった。
 先は闇に沈んでいて、上から四段目くらいまでしか見えない。一体どのくらい下まで続いているんだろう?
「これより先には、護衛はお供することができません」
「えっ?」
 俺は戸惑った。
「死者の……ましてや高貴な人物の墓には、冥界に通ずる道が開いています。静かな死者の眠りを多くの人数で以って妨げれば、冥界の神の怒りを買うことになるからです」
 神の怒りって……おいおい、ビビらすなよ。何だか呪いみたいじゃんか。
「それじゃあ、俺一人で行くわけ?」
「いいえ、私も参ります」
「ああ、なんだぁ。良かった」
 あー、びっくりした。
 いくらムテムイアのお墓だからって、この地下に一人で行くなんて……ううう、考えただけでゾッとする。
「リシク殿、王妃様、くれぐれもお気をつけください」
 護衛の一人が灯りを渡してくれながら、心配そうに言った。
「王妃様は水の女神に遣わされた神子……案ずることはない。だが万一の時の為に、階段上で控えていてくれ」
「はい」
「それでは、参りましょうか」
 リシクが灯りを掲げて階段を数歩降り、俺を振り返った。
「私が先に参ります。王妃様は足元だけに注意なさってください」
 そう言って、手を差し伸べた。
「畏れながら、手をお取りください……けしてこの手を放されませんよう」
「う、うん」
 俺は頷いて、リシクの手を握った。
 乾燥してゴツゴツした、仕事をする男の手だった。
 これから降りてゆく暗闇の中で、この手だけが俺を導く頼りだ。そう思って、ギュッと力を込めて握り締めた。すると、同じだけの強さでもって握り返された。
 もし本当に神が居るのならば、この先は冥界に続いているということになる。
 そこには冥界の神が居るのだろうか?
 もしかして……冥界に住むムテムイアと、会える?
 無理矢理な期待と、得体の知れないものに対するおびえとで、胸の鼓動が高まった。
 
 ムテムイア。
 もしもう一度貴女に会えるのならば、俺は何だってする。
 それくらい貴女に会いたい。
 だけどもう二度と会えないことも、会ってはいけないことも知っている。
 だけど、今会えるのだとしたら――。
 それは喜ぶべきことなのか、それとも恐れるべきことなんだろうか?

 わからなかった。頭が何だか混乱してきて、何を考えればいいのかわからなかった。
 黙って俺を見つめていたリシクにそっと手を引かれた。
 俺は顔を上げて、それから頷いて見せた。
 とにかく、進まなければ。
 俺はリシクの手を強く握ったまま、その階段を下りはじめたのだった。