「ああ、潤! 本当に潤だ……」
 感極まったといった感じで抱きついて来た彼を、俺も思わず抱き返し、そして慌てて部屋の中に引きずり込んで扉の鍵を閉めた。
「もう二度と会えなかったらどうしようかと……ああ、本当によかった……」
 珍しく本気で泣いてるらしい、彼の華奢な背中をさすりながら、俺は身体をよじってギュウギュウ抱きしめてくる彼の腕を少し緩めさせた。
「ちょっと、落ち着けって……それにしても、一体どうしてここにあんたがいるんだ? アマシス」
 すると、彼はキッと顔を上げると、涙に濡れた青い瞳で俺を睨んだ。
「どうしてだって? そんなことどうでもいいじゃないか。それより、潤は何か僕に言うこととか、することとかないわけ? か弱い身で、潤に会う為に決死の思いでここまで来た、健気な僕に向かって。それに、そんな変な服着たままなんて失礼だと思わないの?」
 あー……あいかわらすだな、こいつ……。
 俺は軽い溜息をついてから、チャドルを再び脱ぎ捨てた。
 そして、膨れっ面をしているアマシスの、涙に濡れた頬に小さくキスをした。
「俺のこと、探してくれたんだな。ありがとう」
 そう言って笑いかけると、アマシスは途端に機嫌を直して、俺にじゃれついてきた。
「そうだよ、どれだけ僕が心配したと思ってるのさ。僕があんなことを言ったから潤が居なくなったんだと思って……潤は、もう王国も王も僕も嫌いになってしまったんじゃないかと思って……だけど、そんなことないよね? こうしてお告げ通り会えたってことは、潤は王国に戻ってくる気だってことだもの」
「嫌いになんか、なるかよ。……って、おい、アマシス、それってどういうことだ?」
「ああ、潤……僕も潤のことが大好きだよ」
「だーっ、だから、そうじゃなくて、お告げって何なんだよ?」
「え?」
「今言っただろ、お告げ通り会えたって……」
「ああ、そういえばそんなこと言ったっけ」
「そーいえばじゃねーよ! ボケ老人かよ!」
 あー、こんなとこで漫才してる場合じゃないっつーのに……くっそー、こいつのペースに飲まれてるよな。
「だからさぁ! 今お告げって言っただろ!? お告げで俺に会えるって言われたのか?」
「あ、そうそう。そうなんだよ。潤が居なくなってから、王宮はそりゃスゴイ騒ぎでさ。国内視察での事件なんか比較にならないってくらいだよ。今回は一体誰の仕業かもわからないし、そもそもどうやって王宮を出たのかもわからないし、誰も目撃者がいないし……ひょっとしたら潤が自ら姿を消したんじゃないか、神の世界に帰ったんじゃないかって意見もあってさ。王の在位まで危ぶむ一派も出てきて……」
「そっか……」
「王は王で、もうひどい落ち込みようでさ……今にも自殺しちゃうんじゃないかっていうくらい」
「じさつぅ!?」
「ま、死んだって自殺なんかするような人じゃないけどさ」
 ……死んだら自殺のしようがないだろーが。
「それで、高名な預言者を呼んで、何か神からのお告げはないか聞こうって話になったんだよ」
「わざわざ呼ばないでも、王宮にそのテの人間はゴロゴロ居るだろ……」
「王宮内の預言者も占星師も、みんなお手上げだったんだよ。それで、よぼよぼの預言者が来たのはいいんだけど、そいつも全然わからないって言ってさ……」
「だけど、アマシスがさっき……」
「話はこれからなんだって」
 アマシスはそう言うと、俺のベッドの上に座って顔をしかめた。
「なーに、この寝台。こんな固いところで眠れるわけ? しかも今にも壊れそうじゃないか」
「ケチつけんのは後にしろよ。それで?」
「そう、それでさ、みんなガッカリして部屋を出て行って、僕も後に続こうとしたら、その預言者が僕を呼び止めたわけ。そなたには悪い預言がある、他者の耳に入っては触りがあるとか何とか言ってさ。まったく、こんな爺さんが僕に色目使おうなんて図々しいにも程があると思ったんだけど、預言って言われちゃ僕も聞かないわけにいかなくて、仕方なく残ったんだよ」
「色目って、お前な……まあいいけど。それで?」
「そしたら、マグディ・ハンのマナーマに行けって言われたんだよ。たった一人で、マナーマの東にある、白壁の宿に行きなさいってね。もし神子が王国に戻る気でいるなら、そなたは無事にマナーマに着けるであろうし、神子に会うことができるだろうって」
「……だから、お告げの通りってわけか」
「そう。いくら預言者の言うことだからって、こんなこと鵜呑みにできるかって思ったんだけど、その夜夢を見たんだ。大きな河で、潤が一人で小舟に乗っている夢を。ただそれだけの夢だったけど、朝起きた時、マナーマに行くしかないって思ったんだ。どうしてかわからないけど……それしか潤に会う方法がないのなら、やってみるしかないって。もちろん、ついさっきまでは半信半疑だったけどね」
「もしかして、誰か一緒に来てるのか?」
「まさか。さっき言ったじゃないか、たった一人で行けって言われたって。だから、一人で来たんだよ」
「一人でって……王国から、ここまで?」
「そうだよ」
「……」
 けろっとしてそう言うアマシスを、俺はまじまじと見つめた。
 王国から、こんな遠くまで、一人で……俺に会う為に、本当かどうかわからない預言を信じて来たっていうのか?
 いくら信仰が厚いからって……なんて無茶な……ああ、だけど。
「アマシス、ありがとな。……会いに来てくれて、本当に嬉しい」
 俺がアマシスの手を握ってそう言うと、アマシスは驚いたように目を丸くして、それから笑った。
「変なの……潤が御礼を言うなんて、おかしいよ。だって僕が勝手に、潤に会いたくてしたことなのにさ……それより、もし会いたくなかったって言われたらどうしようかと思ったよ。でも、喜んでくれるなんて、僕って潤に愛されてるんだね。まあわかってたことだけどさ、改めて確認できて良かったよ」
 ああ、こいつって奴は……。なんかズレてるけど、でも実はすごいかわいいヤツなんじゃないだろうか?
「心配かけてごめんな。でも、危なくなかったのか? 一人旅なんて」
「そりゃあね、普通に考えたら命掛けさ。でも、お告げ通り旅をしたから、神が守っていてくださったんだろうね。戦争が始まりそうだっていうのに、何一つ危ない目に合わなかったよ。だからこそ、途中で引き返したりしないでここまで来れたわけだけど」
「戦争?」
 何だか穏やかじゃないな。ゼキはそんなこと一言も言ってなかったから、つい最近そういうことになったんだろうけど……。
「一体どこで戦争が? 怖いな」
 すると、アマシスはきょとんとして俺を見つめて、わからないというように眉をひそめた。
「何を言ってるの、潤……僕は、てっきり潤は知っているものかと……だから、王国に戻ろうとしているのかと思ったんだけど」
 え、どういうことだ?
 それって、もしかして……。
「王国と、アスワンだよ。アスワン王国が、王国に戦争を仕掛けようとしてるんだよ」
 その言葉に、俺は息を飲んで、声もなく立ち尽くしたのだった。