王宮へと戻る道すがら、馬の背に二人でまたがって、俺とジャハーンは色々な話をした。
 まず、ジャハーンの体調のこと。
 病気だというのはデマだったらしいが、はっきりとは言わないもののここ最近、どうやらロクに飯を食っていなかったらしい。夜もあまり寝ていないんじゃないだろうか。5〜6キロは落ちたんじゃないかっていうくらい痩せた体と、目の下にくっきりと見えるクマがジャハーンの気持ちを示していた。
 それから、ジャハーンが一晩帰ってこなかった夜のこと。
 ジャハーンが言うには、呆れたことに、一晩中巫女であるシャジャルと祈祷をしていたというのだ。
「何なの? 何だよそれ? 祈祷って、お祈りすることだろ? んなことやってたのか、あんた」
 俺の脳裏には、(何故か)両手を合わせてナンマンダ、ナンマンダとお経を唱えるこいつの姿が浮かび、そのあまりの馬鹿馬鹿しさに溜息が出た。
「そんなこととは言うがな、潤。私はあの時、藁にもすがる思いでいたのだ」
「つったってさあ……第一、なんでその人だったわけ? 祈祷師だとか預言者だとか、その手の輩なんて王宮にゴロゴロしてんじゃん」
「……シャジャルは、幼少のころ神隠しにあった巫女なのだ」
 ああ、そう言えばアマシスがそんなこと言ってたっけ。
「シャジャルは神の意志に翻弄されながらも、無事王国に戻ってきた。その巫女の祈りであれば、神に通ずるに違いあるまい」
「……それって……その祈りって、もしかして」
「お前が神々の国に戻らず、王国に留まるよう……そう祈っていた」
「アホかい!」
 思わず突っ込んでいた。
「何だよそれは。俺は、ずっとあんたの側にいるって……そう言っただろうがっ」
「しかし、現にお前も不安がっていたではないか」
「それは……っ、えっと、夢見がちょっと悪かったからで……」
「だがお前のうなされ様は、尋常ではなかった。起きているときも、常に何かを憂えているようで、ぼんやりしていることが多いと……ピピも案じていたのだぞ」
「ピピが?」
「アマシスも、後宮の女達も、そう感じておったようだ。もちろん、私とて例外ではない。そのくせお前は何も言わぬし、私に黙ってラモーセの息子と神殿なぞ行ったりして……」
「そ、それは……別にあんたが勘ぐるようなことは何も」
「ならば私と行けば良かったのだ」
 きっぱりと言われて、おれはハッとして背後のジャハーンの顔を見つめた。
「ムテムイアの墓に行きたいのならば、私と共に行けば良いではないか。彼処は冥界へと通ずる神聖なる場所。それをそうせずに、ラモーセの息子を選んだということは……あの男を連れて神々の世界に戻る気なのかと……」
「ジャハーン……」
 俺は言葉を失った。
 ジャハーンのあの怒り様には、こんな気持ちが隠されていたのか。
 俺の浮気とか、そうことだけでなく、自分が一人置いていかれる、俺に見捨てられる、その疑念に取り付かれてしまったのだろう。
「違う、違うよ。そんなんじゃないんだ。俺は……」
「わかっている。今、こうしてお前は私のもとへ戻ってきてくれた。それが全ての答えだ」
 ジャハーンの黄金の瞳は、今すっかり安らいで、俺を愛しげに見つめている。
 本当に安心しきっていて、だからこそ今までどんなに不安だったかが知れて……俺はたちまち罪悪感でいっぱいになった。
「ごめん、ごめんな、ジャハーン……! だけど俺は本当に、いつだってあんただけで……あの時だって、あんたがもう俺のこと好きじゃなくなったのかと思って、それで悲しくて……」
「そのようなことが!」
 ジャハーンは恐ろしい声で怒鳴って、それからちょっと声のトーンを落として、だけどはっきりと言った。
「そのようなことがあるものか……! お前を愛さぬ私など、在ろう筈があるまい……お前は私の魂の片割れなのだぞ。半分だけの魂では、人は生きて行けぬ」
 その言葉だけで、もう胸がいっぱいになってしまった。
 押し殺したようなその声が、微かに震えるその瞳が、ジャハーンの真実を俺に教えてくれる。
 ジャハーン……ああ、今すぐあんたが欲しい。
 もうこれ以上の言葉なんて望まない。だから、あとは心が、魂が求めるままに抱き合いたかった。
 だけど王宮に戻るまでは辛抱しなくてはいけないし、俺たちの乗った馬の周囲は、護衛の男達でしっかり囲まれている。
 俺は正面に向き直ると、背中をジャハーンの胸に預けた。
 背中越しに、ジャハーンの熱と鼓動が伝わってくる。
 ここにこうして、本物のジャハーンが居る……あの熱いまなざしで俺を求める、こいつがいる。
 そのことが、こんなにも嬉しい。
 俺は熱く火照りはじめた身体を持て余しながらも、幸せに浸りながら馬に揺られていたのだった。