頬に柔らかい温もりを感じて、俺は目覚めた。 朝陽の差し込む寝室の中、優しく微笑んだジャハーンがすぐ側にいた。 「ジャハーン……」 「起きたか、潤」 そう言うと、ジャハーンは再び俺の頬に口付けを落とす。 「体調はどうだ?」 囁くように尋ねながら、鼻先や、瞼にも口付けてくる。 それがくすぐったくて、でも何だか嬉しくて、幸せで……俺は思わずクスクス笑った。 「もう、へとへとだよ……あんたが散々やりまくってくれたからな」 「私のせいか?」 眉を上げて、ジャハーンが面白そうに聞いてくる。 「……お互い様、かな」 「では半分、私のせいだな」 そう言って、ジャハーンは俺を抱き上げた。 「ジャハーン?」 「私は責任を果たす男だ」 「え?」 真面目な顔をして言うのが、おかしい。 「じゃあ、責任とって面倒見てくれるってわけ?」 「そうだ。私は今日一日、お前の下僕だ」 「一日? フフ、マジで言ってんの? あんた……って、そういえば仕事はどうしたんだ?」 「公務は今日は休みだ。やっとこの手に戻ってきたお前を残して、仕事が手につく筈がない」 「おいおい……」 いいのかなぁ。 何だか、ムスタファやゾーセルの慌てる顔が目に浮かぶようだ。 そう思いつつも、ジャハーンの気持ちが嬉しい。だって、色々あっての、本当に久々の二人きりなんだもんな。 今日一日くらい大目に見てくれよ、と心の中で手を合わせつつ、俺はジャハーンの首にしがみついた。 アマシスが帰ってきたのは、それから約半月後のことだった。 ゼキの知り合いだという男に護衛してもらって、何とか無事に帰って来れたらしい。 「ひどいよ、潤! 潤の為に、危険を顧みず旅してきた僕を置いていくなんて……それに、潤がシシロ河に飲み込まれた時、どれだけ心配したことか」 アマシスは俺に会うなり、涙目で俺をなじった。 不可抗力だったとはいえ、結果的に彼らを置き去りにしてしまったことは事実なので、俺は彼の責めを甘んじて受けたのだけれど。 「ごめんな、アマシス。心配かけて、ほんとごめん」 俺がしんみりとして謝ると、アマシスはちょっと困ったような顔をした。 「……まあ、潤が無事だってことは、すぐわかったからいいんだけどさ」 「え? そうなのか?」 「だって、巷じゃあ、王国に神子が戻ったって噂で持ちきりだったからね。それにゼキが、きっと神子は王のもとへお帰りになったのでしょう、なんて自信たっぷりに言うしさ」 「ゼキが……そういえば、ゼキは? ゼキは一緒じゃないのか?」 彼が放浪を好む男だと知ってはいたけれど、ここまで来て俺に会わずにまた旅立ってしまったのだとしたら、何だかすごく寂しいな……そう思ってアマシスに尋ねると、彼はわざとらしく溜息をついて、首を横に振ったのだった。 「ゼキ、ねえ……やれやれ、あいつもわからない男だよね。複雑なんだか単純なんだか」 「え?」 「ゼキはさ、しばらくアスワン王国の様子を見てくるんだってさ」 「え……な、なんで?」 「その方が、潤の為になるんだって言ってたよ。あ、そうそう、ゼキから手紙を預かっていたんだ」 「手紙……ゼキが俺に」 アマシスは腰に巻いていた布から、小さな塊を出すと、俺にはい、と差し出してきた。 「え? これ?」 それは、俺の感覚からするととても手紙とは呼べないようなシロモノだった。手紙って言うからには、当然紙で出来ているアレだと思ったんだけど……でもそれは、よく言えば焼き物で、悪く言えば石コロのようなガラクタにしか見えなかった。 泥を固めて焼いた、四角い灰褐色の塊……振ると、カラカラと音がした。 「これって何?」 「え? だから、これが手紙だよ」 「はあ? ……???」 俺が戸惑った顔でその石コロを見つめていると、側に居たピピが控えめに話し掛けてきた。 「失礼ですが……神子、それは粘土板というものです」 「粘土?」 「はい。表面の柔らかい粘土板を割ると、中から文章の書かれた硬い粘土盤が出てくるのです。王国ではそのような形式で手紙をやりとりする習慣はないのですが……アスワン王国や、周辺の国々ではごく一般的な手法なのです。まだお教えしておりませんでしたから、神子がご存知ないのも当然ですけれども」 「割るって……どうやるの?」 「小さな金槌などを使うのが、向こうでは一般的なようですが……今は手元にありませんので、地に叩きつければ簡単に割れると思います」 「ふーん……」 俺は頷いて、ちょっとこの粘土板とやらを眺めてから、えいっと下に投げつけた。 パリーン、と軽快な音を立てて、その丸みを帯びた四角い塊が割れ、中から黒っぽい小さな版が出てきた。 破片に気をつけながらそれを拾い上げると、ゼキが書いたと思われる、丁寧な文字がズラリと並んでいた。 王国におわします神聖なる神子へ まずは無事にお帰りになったこと、心よりお喜び申し上げます。 アマシス様からお聞き及びとは存じますが、私は今アスワンに居り、ジェスール王子とユクセル王子との王位継承権争いの行く末を見届けるべく、密かに行動しております。 状況は複雑ですが、私の見聞致しましたところ、やはり貴族はジェスール王子に味方する者が多いようです。が、昨日までは味方でも、いつ何時それが敵に変わるかわからないのが戦争というもの。 とりあえず今私が申し上げられることは、万一アスワンのどちらかから援護の要請が来ても、相手にせぬ方が得策だということです。どちらが勝利を掴むにしても、この戦争が終わるころには、アスワンの国庫はかなり衰えていることでしょう。その時こそ、王国がアスワンに対して完全なる優位に立つ好機であると存じます。……もっとも、太陽王におかれましては、私が申し上げるまでもなく、そのようなことは重々ご承知かと存じますが。 何はともあれ、状況が変わり次第、折を見てご報告申し上げます。 アスワンより、神子と王国のご繁栄、また安らかなるお幸せを心よりお祈り申し上げます。 ゼキ それを読み終えて、俺は不覚にも涙ぐみそうになってしまった。 何故かはよくわからない。 ゼキの温かい言葉が嬉しかったのもあるし、ユクセルが心配だったのもあるし……ただ単純に、手紙というものをもらうのがあまりにも久しぶりで、感動してしまったのかもしれない。 だけど、その文面は読むたびに俺の胸を締め付け、切なく、そして何とも言えない心持ちにさせるのだった。 |