アスワン王国からの使者が、贈り物と称した品々を抱えて王宮を訪れたのは、それから約三ヵ月後のことだった。 並んで王座に座る俺たちに向かって、使者は恭しく頭を垂れた。 「太陽王、並びに神子におかれましては、ご機嫌うるわしく在らせられることと存じます。お二人の偉大さと王国の豊かさを、我らがアスワンで知らぬものは赤子くらいなものでしょう。話に聞いてはおりましたが、いざ自分の足でこの黄金の大地に参りますと、そのあまりの輝かしさに、目が眩む想いが致します」 使者は張りのある声で、まるで詩でも朗読するように、挨拶の言葉を述べた。 ジャハーンは、使者の言葉に鷹揚に頷いただけで、王座に深々と座ったまま、ただその鋭い眼差しで使者を見つめているだけだった。だけどその無言は、重々しく威厳をまとって、この謁見の間を支配していた。 使者はジャハーンが何の言葉も返さないので、少し戸惑った様子で再びその場に伏礼した。 ジャハーンはようやく使者から視線を外すと、傍らに居たムスタファに軽く頷いて見せる。 ムスタファはその視線を受け止めて一礼をすると、使者に向かって堂々とした声を投げかけた。 「その方はアスワン国王の使者だとか。しかし人の噂するところに因ると、なかなか国内騒がしく、他国を気にかけているような場合ではないと思うが?」 使者は顔を上げて、その問いに答える。 「はい。確かにここ数ヶ月というもの、けして我が国は平穏とは言えぬ状況でございました。つい先日も、先王アルヌワンダ三世陛下が崩御なさいまして……わたくしが本日参りましたのは、その報告も兼ねてのことでございます。慌しくしております中での突然のご不幸でございましたので、心ならず遅くあいなりましたが」 「……なんと」 そこで初めて、ジャハーンが口を開いた。 「偉大なる人徳者を喪うとは、残念なことだ。王子達はさぞや悲しんでいることだろうに」 もちろん、アスワンの王様が亡くなったってことは、ゼキや他の者達から知らされていた。だけど、ジェスールとユクセルのどちらが王座を手に入れたのか……その情報はさすがにまだ入手できていなかった。 ジャハーンが今初めてその事実を知ったように話すのは、飽くまで形式を重んじたからに過ぎない。 使者も、それはわかっているのだろう。 「恐れ多いことでございます。もったいなくもあたたかなお言葉、喜んで我が国にお伝え致しましょう。わたくし共も、あまりの悲しみ、落胆に、食事も喉を通らない程でございましたが、いつまでも泣き暮れているわけにも参りませぬ。まずは偉大なる太陽の国にこの不幸をお伝えし、そして新国王としてご挨拶せねばなるまいと、国王陛下はそう仰せられまして、わたくしがこうして参った次第でございます」 ついに、話が本題に移ったようだ。 「さて、アスワン程の力を持った国が、我が王国に媚びへつらう必要はないと思うが……」 ムスタファとは反対側に立っていたゾーセルが、訝しげな表情を作ってそう呟いた。 「確かに我が国は、王国には遠く及ばずとも、豊富なる資源を持った富める国。しかしながら、此度の一件で、国王も国民達も、疲労の極みにございます。それ故、なおさら太陽王と神聖なる神子から、一言なりとも労りのお言葉を頂けたなら、せめてこれからの心の励みにもなろうと、そう陛下はお考えなのでしょう」 知りたい事実が一向に告げられず、焦れていた俺に、ジャハーンが小声で話し掛けてきた。 「先手を打ったな……王権争いで国庫が疲弊した今、アスワンを潰すにはまたとない好機だが……こう下手に出られては、そうそう無体な真似もできぬ。なかなか頭の切れる男だ、新国王とやらは」 その言葉に、俺の心臓は一気に跳ね上がる。 この周到なやり方、あまりにも覚えがあり過ぎる。 「ここにお持ち致しましたのは、前国王陛下のご遺品の数々にございます。父君が亡くなられた今、愛でられていた品々を目にするのは悲しみが反芻されて苦しいが、王宮の倉庫にしまっておくにはあたら惜しい貴重な宝。ならば偉大なる太陽王と神子に使っていただくのが、品々にとっても幸福であろうと、新国王陛下はそう仰せでございます」 「殊勝なことだ。それではありがたく頂くこととしよう。代わりに我が王国からも贈り物をしたいものだ……アメニ」 「はい、ここに」 「悲嘆に暮れる新国王を慰めるよう、充分な量の上質の紙とインク、それから黄金の塊を用意せよ」 「仰せのままに」 ジャハーンの言葉に、使者は恐縮した様子で頭を下げた。王国内で作られる紙とインクは、貴族や王族にとっても高級品だった。他国においてはさらに価値が上がることだろう。 「ご厚意、ありがたくも喜ばしく存じます。……遅くなりましたが、いま少しご報告がございます」 使者はようやく、散々勿体ぶった話題に触れる気になったようだ。 「前国王の皇后陛下は、傷心のあまり病を患われ、後を追うようにして崩御なされました。そして、新国王の兄君にあたられますジェスール殿下は、事故による負傷がもとで、同じく冥界に旅立たれました」 「……ああ!」 俺は思わず、小声でうめいてしまった。 ユクセル……ユクセル、生き残ったんだな! あんたが国王に……ああ、それよりも、生きていた! ユクセルが、死ななかった……そのことがこんなにも嬉しく、涙が出るほどの安心感が俺を抱きしめる。 隣にジャハーンが居るというのに……いや、だからこそなのだろうか。 ユクセルの無事を心から喜べることが、自分でも本当に嬉しかった。 「陛下、お待ちください」 声が震えないように気をつけながら、俺は余所行きの口調でジャハーンに話し掛けた。 「新しいアスワン国王陛下に、俺からも贈り物を」 「潤?」 「なんと、神子たる王妃御自らの賜りものとは! これ以上ない喜びにございます」 大袈裟なぐらい喜ぶ使者に、俺は自分の胸元から黒曜石のペンダントを外し、すぐ側に立っていたピピに渡した。 「これを、使者殿へ」 「は……はい」 ピピは戸惑いつつも、言われた通りそのペンダントを使者の元へ運ぶ。 使者は恭しい仕草で布を広げ、素手で触れないようにそれを受け取った。 「一見暗黒に見えるその石も、光が差せば輝きを放つ……これから大変だろうけど、頑張ってくださいと伝えて欲しい」 「おお、なんと……」 使者は演技ではなく、本当に感極まった様子で深々と頭を垂れた。 ジャハーンは何か言いたげに俺を見つめていたけれど、やがて溜息を一つ吐くと、合図を送るように手を振った。 「さて、そなたも疲れていることだろう。部屋を用意するゆえ、今宵はゆるりと休むが良い。アスワンまで戻る支度は、こちらで整えようぞ」 その言葉で、謁見は終わりを告げた。 俺は退出していく使者を見送ると、目を瞑って王妃の座に背を預けた。 ……ユクセル。きっともう会うことはないだろう。だけど、あんたがいつか本当に幸せになれる日がくると……信じてるよ。 はるか遠いアスワンに居るユクセルに向かって、心の中でそう呟いたのだった。 |